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自称論理的な人への対処法

こんにちは。きゃべつです。
女性とのデート前にドラム式洗濯機を購入したら不正利用と疑われてカードが停止されました。それで、ディナー代を女性に出してもらう失態を犯しました。

今回は、私がSIerに所属していた頃(当時22歳)に出会った論理的であるような言動を行うものの、感情に屁理屈を載せただけの人への考えを記事にしました。皆さんの考え方もお聞かせください。

論理的とは中立ではない

まず、論理的であることは中立を意味するものではないです。他人の考え方と異なるからと言って、「その考え方は論理的ではない」と批判したくなりますが、人には人の論理があり、あなたに対していつも中立とは限らないことを念頭に置きたいです。

私がSIer在籍時に行っていたことは、提案フェーズで様々なソリューションをクライアントに提供し、議論の材料とすることでした。

そこで、クライアントの意思決定者がよく「論理的に判断すると…」と口走っていました。その発言に違和感を感じたのが、女性や若者の提案には「意味が分からない」と一蹴する言動でした。そのフィルターに掛かった人は、何回意図を汲んで提案しても全て断られるようになります。

論理的とは自分の感情を上手く発信できないこと

論理的と言うのであれば、その人それぞれの論理をトレースできなければ意味がありません。自分の考え方だけが論理的であると思い、受け入れられない論理を一蹴することは、感情的である以外の何でしょうか。

論理的と自分を評価する人、それは自分の感情を上手く伝えられないため、他人に自分の論理を押し通して感情を汲んでもらう負荷を強いているだけの様です。

コミュニケーションに論理を追求すると狂う

人との対話・議論時に"自称論理的"な正しさを追求する人は、よく"論理的な正しさ"を"自分の論理"のみとし、人の論理を受け入れることを拒否しているように感じます。「人には人の論理」という論理的に導ける事実、それを理解したうえでやっと論理的と言えると思います。

私たちが、"自称論理的"にならないよう、
互いの心を閉ざしたコミュニケーションに陥らないよう、「人には人の論理」を前提にすること。
対話相手の論理を追求するよりも、自分にはない論理に寄り添うことです。

自称論理的な人への対処法を

"自称論理"に固執する人がいて、建設的な議論ができなくなった場合どうすれば良いのでしょうか。

私はSIerにいた頃、結論が出せずに単なるストレスとなっていました。そのような人(クライアント・協力会社、様々な箇所にそのタイプが居た)に対処しようと精神を削りました。

今となっては、ストレスを感じない程度にその人の論理を全て話させる。その人の論理もその人の中では正しいため、否定してはいけないと思います。全ての話を終えれば、"自称論理的な披露"は終わりを迎えます。その議論が時間の無駄であると感じても受け入れましょう。ご意見ありがとうございましたと。 

そんなSIer時代を振り返っての私の論理でした。いかがでしたでしょうか。皆さんの考えもお聞かせください。
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