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『装填された土産と廻るエゴ』 2023年3月30日

長年、本当に長年お土産を交換し合っている友人がいた。
前にどこかしらのお土産を貰ってからそのお返しに私も、そのお返しに彼もと繰り返してはや数年。かなりの月日が流れていることに気付いた。特別仲が良いワケでもない、お土産を送りあうだけの関係。

約半年前、いつものように私のお土産に対して彼が新しいお土産を装填する。

それを察知し、私もディズニーランドにてお土産を装填。
西部劇のガンマンの如く、互いが互いにお土産という名の弾丸を装填して睨み合う。しかし、我らはもう大学生。学業(してない)やバイト、遊びで大忙し。メッセージを飛ばし、互いの予定を打ち合っても決して当たることのないカスのガンマンになってしまったワケだ。月日が流れて関係性が錆びつき過ぎた。

必然というべきか、『お土産』という細い関係性で繋ぎ止められていた我らは予定が合わないことを悟ると、示し合わせたかのように同時にピストルを手放し疎遠になっていく。どちらも新たな生き場所を見つけたのだ。
それでもなんとなく、お土産はピストルに装填されたままの方が良いかな、なんて考えつつ久しぶりにお土産を手に取ったら、なんと賞味期限まで1か月を切っていた。当たり前だ、食品なんだから。

日本のロックバンド、ユニコーンの不朽の名曲『すばらしい日々』で、私は人の関係は刹那的、されど完全に事切れるワケではないと学んだ。

この場合、どうなるのだろうか。
人は離れど事切れることはないが、賞味期限を迎えたら事切れてしまう弾丸はどうなる?
我々が『再び繋がる時』のためにお土産として装填しておくのが良いのか、ピストルから出し、人のエゴに付き合わせずに弾丸ではなく『食品』として終わらせてやるべきなのか。

教えてくれ、アムロ・レイ!!!!


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