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聖書の登場人物を学ぼう|サムエル①

サムエル記上1章1節-2章11節 サムエルの出生

1.サムエル記の書かれた背景


 サムエル記Ⅰ、Ⅱは、作者が歴史的事実として伝えたいポイントがいくつかあります。
 まず一つ目に、サムエルという人についてです。
 彼は祭司と士師、現代でいえば宗教的指導者であり、またパートタイムの政治的指導者であったということです。しかし1章1節には

1:1 エフライムの山地のラマタイム・ゾピムに、エルカナという名の人があった。エフライムびとで、エロハムの子であった。エロハムはエリウの子、エリウはトフの子、トフはツフの子である。

 とあり、彼の先祖はエフライムと書かれていますので、律法に示されている祭司の家系ではないのです。

 しかし、これからお話していく母ハンナやサムエル自身の信仰、現祭司職の堕落による神の裁き、そして敵国から守るために指導的立場になったことから祭司職や士師として働きをすることになっていったことを説明するためです。

 二つ目は、王のいなかったイスラエルが王政国家になっていく背景を伝えるためです。サムエルは神さまの命令によりサウルいう人やダビデという人を王としてたてることや、サウルという王を退けて、親族ではないダビデという人が王として交代する背景が書かれています。

 これは後に、詳しくお話ししていくことになりますが、その詳細を残さなければならなかったのです。神さまによる正当な制度の在り方や信仰による継承の在り方を後のイスラエル、また私たちに残すためです。

 この二つを土台としてサムエル記を見ていかなければ、好き勝手な読み取り方をして読んでいくことになります。聖書はそのような読み方を《…自分勝手に解釈すべきでない…(第2ペテロ1:20-21)》として厳しく戒めていますので、気をつけなければいけないのです。

2.母ハンナの祈り

1:2 エルカナには、ふたりの妻があって、ひとりの名はハンナといい、ひとりの名はペニンナといった。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。

 当時は、神さまから与えられた約束の地をその家が継承していくことが求められました。ゆえに、子どもが与えられないことは継承をするということができないということでプレッシャーに感じることです。

 また、女性として子どもが与えられないことの苦しさは、現代の女性であっても理解できることなのかもしれません。特に、この時代においてはなおそのような価値観が強いのではないでしょうか。
 もう一人の妻ペニンナはそのことでハンナに主を恨ませようとしたと書かれています。

1:6 また彼女を憎んでいる他の妻は、ひどく彼女を悩まして、主がその胎を閉ざされたことを恨ませようとした。

 主人のエルカナは優しい人で、そのことを気にしていませんが、ハンナにとっては大変苦しい状況だったことがわかります。

1:10 ハンナは心に深く悲しみ、主に祈って、はげしく泣いた。
1:11 そして誓いを立てて言った、「万軍の主よ、まことに、はしための悩みをかえりみ、わたしを覚え、はしためを忘れずに、はしために男の子を賜わりますなら、わたしはその子を一生のあいだ主にささげ、かみそりをその頭にあてません」。

 ハンナは主を恨まずに、男の子が与えられるように祈りました。そして、祈った後は、心が晴れたようです。それだけではなく、その祈りは答えられ、主はハンナに男の子を与えました。この男の子がサムエルです。

3.主に息子を献げること

 ハンナは子どもが与えられたから心が晴れたのではなく、主への祈りによって晴れていることを強調しておきたいと思います。
 神さまとの関係において、迷いや悩みがなくなるところに平安があったからです。

 ゆえに、ハンナは、祈りで約束したように息子サムエルが乳離れしたあと神さまに献げました。サムエルは祭司エリに育てられることとなりました。

 このような信仰の両親から生まれ、その後に祭司に育てられたことをサムエル記は伝えています。それは、後にサムエルが祭司として、また士師として働く起源や背景を教えるためです。本日はハンナにスポットを当ててお話ししました。


 現在も同じですが、何かを成し遂げるための起源や背景はとても大切だと言うことがわかります。
 私たちが人を評価するとき、見える現象的なものに心を留めることが多いですね。
 それよりも、その人の文脈や背景を見ることでその業績や結果を見なければ実は何もわかっていないのではないでしょうか。

 信仰は決してオートマチックに成長するものではなく、苦しみや悲しみを主にあって乗り越える過程がいかに大切であるのかを教えられます。

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