「13歳からの世界征服」

そもそも問題という枠組みは自分で作っているわけです。ですから、何かを問題視している自分をそのままにして、解決しようとすること自体が矛盾しています。

13歳からの世界征服‐中田孝

思わず笑ってしまう極論ばかりの本だったけど、時々ハッとさせられるような理屈がサラッと書かれている。その中でも上記の考えは今後も役立つだろうなと思い、思わずメモしていた。

自分なりに解釈すれば、問題というものは、自分が問題だと思いこんでる勘違いに過ぎない。その勘違いが自分にとって解決しなければならない事柄なのか、それとも解決しようとすること自体が間違いの類なのか。

間違いか否かの整理をせずに、解決法を探ることが、矛盾につながってしまう恐れがある。

具体的な事例を出せば、

男の娘風俗で遊ぶことを問題視する。

問題を解決しようとする

この場合の解決法はいくつかあると思うが、重要なのはそこではない。
男の娘風俗で遊ぶことの何が問題なのかを本当に整理できているのかということだ。単に料金が高いという経済的な問題なのか、男の娘が好きだという性的嗜好が問題なのか、風俗で遊ぶことが問題なのか…。

たとえば、経済的な問題を問題視しているのなら、回数を減らすだとか、年収を増やすだとか矛盾しない解決法を探ることが可能になる。それは、引用にもあった問題視している自分をそのままにしていないからだ。

では、心の底では、男の娘が好きだという自分の性的嗜好に嫌悪と罪悪感を抱えているにも関わらず、経済的な問題だと思いこんでいる状態だとどうなるだろう。(この場合の真の問題は、自分の性的嗜好を受け入れることができない心理的な問題だろう。)

その場合、お金を稼ぎ、経済的な問題を解決したとしても、真の問題は放置されているため、問題が本当に解決されたとは言えない。

この発想は、自分が抱えている様々な問題に応用できるなと思った。自分が悩んでいることは本当に悩むべきことなのか。一冊の本から、学びがあると少しうれしい。少し充実した気になる。



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