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子育ては親育て?(1) ~「そろそろ…」と 義母に書かれた 年賀状~

子供がいない夫婦だけの生活をしていた時期が、かなり長かった自分。ある時期から、義理のお母さんからは孫待望の気配を感じ出し(年賀状に「そろそろ…」と書いてあったこともあった)それだけで泡を吹いて白目を剥いて倒れてしまいそうなぐらいの重圧だったのですが、職場の子育ての先輩方からも、「子供はまだなの?」などと言われることが増えていきました。

大学時代の恩師は、いわゆるDINKSというカジュアルなアパレルブランドみたいな略称で呼ばれる「ダブルインカムノーキッズ(夫婦共稼ぎで相当に経済的な余裕があるも、子供がいない夫婦)」の人生を送ってきた女性の教授だったのですが、物凄くお酒が強く、お酒が大好きな方だったので、大学卒業後も度々飲みに行く機会があったのですが、その度に曇りなき目(まなこ)で「子供はまだなの?」と言われるようになりました。同世代の友人たちからのSNSからは、子供が生まれたエントリーや、子育て真っ盛りエントリーが爆発的に増えていき、ますます「置いていかれている」感に苛まれていました。


そして、子供が実際に生まれて結構な月日が経ったわけですが、よく子育て関連記事で見かけるのが「子育ては親育て」という論です。しかし、自分が自分の親をあまり尊敬できないのも、子育てをしている両親が子育てによって育っている気配が全くなかった・・・というか、親として必要な何かが確実に欠落していた人たちだったのと、その親の特徴を存分に受け継いでしまったゆえに、自分に似ている存在の子供がこの世に生まれてくるということは、どうしても恐ろしくてたまりませんでした。自分自身が親の存在に悩んできたので、子供も「親が残念すぎる」という思いに囚われるのではないか、という恐怖があり、あんな思いをさせたくない、という感情に苛まれていました。


両親に払ってもらった、地元では決して知名度がない大学に上京するためにかかった莫大な費用などを考えると、両親には、気の利いた菓子折りを持っていって玄関口でおでこを擦り付けて感謝を述べても全く足りないくらい、支えられたと思っているし、女性に対する古風な価値観が根強い地域で育ったのに、東京の大学に行くべきだと確信していた両親のおかげで、今の自分があるとは思っているのです。

しかし、親の未成熟な部分にずっと悩まされていて、年をとってさらに子供帰りをしてしまってこどもおばあちゃん、こどもおじいちゃん、みたいになっている両親に会うと、さらに気持ちが凹み、「親になっても人は育たないんじゃないのか!?」と、複雑な気持ちを持っていました。(その2へ続く)

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