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女子校時代の思い出・・・優しかった年上の男性に・・・複雑な思いを抱いたそんな夏・・・。

 25年以上前の、甘酸っぱい思い出である。

 両親ともに地方都市生まれ、地方都市育ち、そんな環境であったため、我が家は、夏休みと冬休みの親戚付き合いが毎年あった。

 親戚…。2023年の今となっては、存在意義が本当に怪しい、そんな親戚付き合いであるが、両親ともに、帰省のたびに地元に帰り、両親の兄弟、姉妹、従姉妹たちと過ごすのが恒例であった。自分が子供時代を過ごした、飛ぶ鳥を落とす勢いの「JAPAN AS No.1!」のバブル期の日本においては、そこまで親戚付き合いが積極的にある人ばかりではなかった。良くも悪くも自分の親戚は、当時としては珍しいほどに、頻繁に会い、積極的に関わっていた。

 母の妹にあたる伯母は、昭和生まれ昭和育ちの女性としてはかなり珍しく、定年まで仕事をまっとうした女性であった。地方都市では、絶大な価値のあるとされた資格職の強みを活かして、大学を卒業してから、65歳(!)まで働き続け、退職金でローンも完済し、持ち家のマンションに住んでいる。

 伯母は、とても優しかった。読書が好きで、地方都市で勉強をひたすら頑張り国立大学に進学し、そこで得た資格で、一生の仕事を全うした伯母は、私に対して「似たもの同士」のような感覚を抱いてくれていたのかもしれないと今にして思う。

 伯母は、職場の同僚の方々とも付き合いが頻繁にあった。姪である私は時々、職場の同僚の方々と山登りに行ったりしていた。昭和の牧歌的な職場環境では、家族ぐるみの付き合いが当たり前なのだった。目の前の人のことも大して大事に思えない、非正規雇用の人々がとてつもなく多くなってしまった2023年の今とは、隔世の感である。

 家族ぐるみの付き合いが当たり前であった、伯母の同僚の息子さんが、夏休みと冬休みに、祖母の家にやってくることがあった。彼は、郊外のマンションで「一人っ子」として育っていた。伯母の同僚であった彼のご両親は、地方都市の、濃密な交流のある伯母の親戚付き合いの中に彼を放り込むことで、社交性を身につけさせたいというような思いがあったのだと思う。

 女子校で、若い男性との接点がなかった私である。悪魔のような性格のイケメンの兄と、2着しかない服のダサさをバカにしてくる横浜の従兄弟以外に、会話をする機会があった若い男性は、彼だけであった。

 私は当時から、頭でっかちな、女性性を圧倒的にこじらせた人間であって、図書館で借りたJRRトールキン(https://ja.wikipedia.org/wiki/J%E3%83%BBR%E3%83%BBR%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%B3)の本を、これみよがしに人前で読んだりなどしていた。

 夏休みに祖母の家にやってきた年上の彼は、私が、これみよがしに海外文学を読んでいる様子を知ってか知らずか、優しく話しかけてくれた。

年上の彼:「ねすぎさんは、JRRトールキンが好きなのですか?」

私:「いや、そんなに詳しいわけではないんですけど・・・(これみよがしに読んでいた本のことを話題にしてくれて嬉しい)。」

 当時、読書が好き、海外文学が好き、という特徴を小馬鹿にしてこない、若い男性は、彼だけであった。

 JRRトールキンの良さをわかってくれる、優しい年上の男性との出会い…。

 彼は、日本で、その名を知る人はいない著名な大学を目指して、勉強しているという話だった。のちに、右翼的な思想にかぶれてしまった漫画家すらもその大学のことをネタにし、「マジカル・たるるーとくん」というたこ焼きが好きな魔法使いという適当な感じの少年漫画を後に描くことになった漫画家も、題材としてその大学を目指す男性を描くような(なんかテーマは別だったけど)日本最難関の国立大学を目指して、仮面浪人をしていた。

 彼は、当時、私立大学に在籍していた。日本の国政、企業社会などあらゆる業界に圧倒的なネットワークを持っており、卒業生の活躍が目覚ましい私立大学である。

 後になって気づいたのだが、彼は「(女性の)結婚したい男性の学歴(!)」ナンバーワンに燦然と輝く大学に在籍していた。日本で、その名を知らない人はいない、そんな著名な大学で学ぶ、年上の男性だったのである。

 私が、彼とJRRトールキンについて、ボソボソと話している様子を、伯母は目ざとく見つけたようだった。彼がふとその場から離れた時、なんとも言えない、ちょっと意地悪な半笑いの笑みを浮かべて、こんなことを言った。

伯母:「ねすぎ、どう?彼。ねすぎには、彼みたいな人が・・・合うんじゃないかと思うんだよねェ〜…」

私:「彼みたいな人…うーん。いやー、ちょっと。あはは」

    …ねすぎには、彼みたいな人が合う
    …彼みたいな人が似合う…(脳内でエコーとなり響き渡る)

 彼はとても優しい人であった。繰り返すが、優しい上に、「結婚したい学歴」ナンバーワンに輝くそんな大学に所属していたのだった。

 …しかしながら、彼の眼鏡は、分厚かった。

 彼は、窓ガラス(昭和の分厚いちょっと曇った窓ガラス)をそのまま眼鏡に作り替えたような眼鏡をかけていた。その形状は、やけに縦型で大きく、四角かった。さらに、彼は、日常的に「チョッキ」を着ていた。冬はチョッキ、夏はポロシャツ。お父さんからのお下がりのような、分厚い毛糸でできた「謎色のチョッキ」を着ているのだった。ベストではない。「チョッキ」であった。そのチョッキは、宗教団体に母親が洗脳された男性が、放った2発の銃弾をも、通さないかのような絶対的な分厚さであり、毛糸の重みが、そのチョッキを着たことのない私にも、ありありと伝わってきた。夏は、サイズがてんで合わない、テロンテロンの昭和のポロシャツ(謎色ボーダーポロシャツ)を着ていた。

 彼は、目つきが悪く、「キツネ目の男」の指名手配の写真にそっくりで、ボソボソと喋る人だった。表情が2種類くらいしかないのだった。

 無表情と、半端な笑みの2択。分厚過ぎる眼鏡のせいで、目はより一層小さくなり、その表情の乏しさは、際立っていた。

 繰り返すが、彼は、日本最難関の大学を目指して仮面浪人をしていた。仮面浪人をしながら、「結婚したい学歴ナンバーワン」に燦然と輝く、私立大学に在籍していたのである。

 伯母が半笑いで彼のことを「ねすぎに合うんじゃないか」と言ってきた時の、気持ちを思い出す。

 赤ちゃんの頃から私のことを知ってくれている、私のオムツも替えてくれたかもしれない、私のことを誰よりも知っている伯母から見て、私に合う男性は、彼のような人なのか…。

 彼のような人が、私の恋愛対象として「合っている」と思われているのか…。

絶望しかなかった。

 しかしながら、自分の当時の女性としてのスペックを、男性に当てはめた場合、伯母の言うとおり、彼が「ピッタリ!」なのだということも重々理解できた。むしろ、そうそう入れないような、難関大学に在籍している殿方なのであるから、伯母から見たら、大変に素晴らしい人を、可愛がってきた姪っ子に、引き合わせているという思いがあったに違いない。

 当時の自分は、勉強しか得意なことがなかった。海外文学(例:JRRトールキン)が好き。コミュ障。虚無の髪型。お下がりの、親が選んだダサすぎる服。高校生になっても、服は「ダイエー」で買っている。チェックのネルシャツのボタンを、大学一年生の夏くらいまで、一番上までとめていた。

 こんな人と付き合うなんて…結婚するかもしれないなんて(そこまでは言われてないが、男性との接点が無さ過ぎるがゆえ、付き合う=結婚、だと思っていた)…。

 絶対に嫌だ。嫌すぎる。
こんな人が似合うと、半笑いで、伯母に思われていることも、辛すぎる。

 当時不遜であった私は、心の底から、〜from bottom of my heart〜
そんなことを思った。

※注:今にして思えば、彼はとても優しくて良い方だったと思います!
彼(や私のような思春期にダサかった人たち)に、幸あれ!

以上です。



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ねすぎ
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