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改めて思い知らされる「顔」のパワー!キレイな人は本当にすごい・・・!?(1)

 20年以上前の甘酸っぱい女子寮時代の思い出である。

 当時(90年代後半)、男子寮が3寮、女子寮が4つあり、男子寮と女子寮との交流行事はかなり頻繁にあった。新入生が入ってきたら、新入寮生同士を引き合わせるためのような行事が、とにかくたくさんあり、やたらに男子寮生に対して自らを自己紹介ばかりする時期というのがあった。

 今、その男子寮との交流行事や、寮内ので行事の思い出を思い出すと、何やらとてもおかしくて、一人で夜中に大笑いしてしまうほどである。

 寮の運営は、「キャビネット(Cabinet)」と呼ばれる委員により構成されていて、男子寮との交流などの寮行事は、「文化 Culture」(日英両語なのである!)という名称の内閣(!)の担当者が、色々と取り仕切っていた。キャビネット、には、寮長(President)、副寮長(Vice President)、会計(Accountant)、厚生(Welfare)、文化(Culture)と、いちいち、その名称に、英語で翻訳がついていた。

 1階にあるホワイトボードには、各委員からの連絡事項が日本語と英語で書かれていた。月一回、全員参加のミーティングが開催され、そこで議題が発表され、情報共有がなされる。話し合っていることは、「トイレットペーパーが購入されました」とか「〇〇寮とのお花見に参加していただきありがとうございました」などなど、そこまで高尚なわけでもないのだが、形式的に、すこぶる高尚な感じで行っていた。それが今思うとおかしくてたまらないのであった。

 会議は毎月一回、月曜日の夜9時からの開催だった。ただし、アルバイトで休む、というようなことは絶対にダメという、参加への圧力がとても強いものであった。自由参加で、気軽に休めるようにしてしまうと、誰も出なくなる事は想像に難くなかった。そのためか、「強制参加」のルールがかなり強めに設定されていた。

 とは言っても、実際はそんなに厳しい雰囲気だったわけではなかった。そもそも、上下関係はあまりなかったし、体育会の部活動のような感じではなかったので、形式的には厳しめに行われていたとはいえ、全体的に、ゆるめだった。

 寮会が義務とされていることは面倒ではあったが、無駄に本格的な感じが、なんともいえず面白かった。いちいち全ての発言を、通訳(translator)の9月生の人々が、リアルタイムで翻訳するのである。彼女たちは「トランス」と呼ばれていた。訳して欲しい時にはよく「トランス、お願いします」と言っていたような気がする。当時は、それなりに緊張して、ドキドキしながら真剣に臨んでいたが、その様子を今思い返すと、なんともいえない、おかしみを感じる。卒業して20年以上も経っているが、こそばゆい気持ちになるのであった。

 毎日、同じ建物に住んでいて、人数も32人程度で(今はもっと少ないらしい)、寮生同士の関係性はかなり距離感が近いものだったとはいえ、生活時間帯の違いなどもあり、全員と顔を合わせる機会というのは限られていた。唯一、その寮会の時だけが、全員と会える貴重な機会だったかもしれない。当時は、すこぶる面倒だと感じてはいたが、毎月の強制参加の会議、というのは、今にして思うと、全員が顔見知りの距離の近い奇跡のような寮生活というものを成立させてくれている、重要な場であった(面倒臭い運営に対して、批判的な人たちもいたが…)。

 平日の夜9時なので、みんなパジャマや、ジャージなどで参加していた。

 私は、度々、あることに、思いを馳せていた。

 ジャージを着ていても、武蔵境のイトーヨーカドーで買ったかもしれないパジャマを着ていても、キレイな人は、どんなにダサい格好をしていても、化粧など一切していなくても、とにかくそもそもキレイなのだ、という圧倒的な事実であった。

 男女の格差ランキングが途轍もなく高いニッポン社会において、「キレイになる」「痩せる」ための努力を煽ってくるメディアが(おそらくは広告代理店(等)の偏った思想を持つおっさんのせいで)大量に存在するのだが、本当にキレイな人というのは、特に何もしていないのに、キレイなのだった。肌や目の作りなど、誰も、何もできないところから、とにかく作りが違うのだった。どんなにダサい格好をしていようと一切揺らがない。日々生活を共にしていることもあって、そのことを、まざまざと思い知らされるのだった。(厳正な会議中に何を考えていたのかと思うが・・・)

 また、キレイな人に対して女性同士でキャーキャーいう文化みたいなものも寮内には、あった。それも、今思うと「あれはなんだったのか?」とは思うのだが、とにかくキレイな人の持つパワーというのは圧倒的であったと思う。彼女たちに対しては「みんな笑顔になってしまう」というようなリアルさも、思い知らされることがあった。私が、誰かに微笑みかけても、何をニヤニヤしているのかね?と突っ込まれる事はあっても、そこまで、誰にも喜ばれることもなかろうが、圧倒的にキレイな人が微笑むと、みんな理屈抜きで「ほわん」「ほわわん」「ほわわわん」となってしまう。

 それは女性同士であっても、やはり、そうなのだった。

 そのため、キレイな人の世界や日常は、「多くの人が常に微笑みかけてくる」世界になるのだということも、傍でその様子を見ていただけだったが、とても、衝撃的だった。なんとなく、みんなが優しくなってしまうのだ。

 キレイな人にしか見えない世界、開かないドア、というものが確実にあるのだった(いや、経験したことがないので、想像の域を出ないのだけど・・・)。

続きます!

 

  

 

 

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