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どこにも繋がらない空想上の場所であって、確かにあった。本、軽業師、その軌道。[雑文]

ただの文字だったものが、ただの創作上の名前だった人が、振り返り、こちらを見た。

それのいちばん最初が、いつのことだったか覚えていない。
児童文学よりも、絵本の方が好きな子どもだった。
枕元に毎月貰う絵本(こどもの友、だったろうか)を積み上げて、眠くなるまで読んだ。
布団に入って、目を閉じて、今読んだ絵本の中を歩き回った。
私はそこに入りこんで、誰にでも話しかけられたし、何にでも触れた。
新しいお話を付け加えることもできた。なんの制約もなかった。
眠ることさえできたかもしれない、その絵本の中で。

それでも取立てて本が好きな子ではなかった。字の多い本は読むのがたいへんだったから。
厚みのある本の、絵のあるページまで読み進めるのが、息を止めて潜水するくらい苦しかった。
でも、何才ぐらいだったのかやはり覚えていないが、ある時、ふっと、楽になった。
お話の中の誰かと目があって、気がつけば同じ場所に立っていた。

絵本のようにまるごと世界で遊ぶには、少し見通しが悪かった。
字ばかりのお話は、文字をたどらないと前に進まない。やはり絵のほうがわかりやすい。登場人物の話す言葉は少しまわりくどいし。
コツを掴んだのは、ファンタジー文学だ。
主人公の目線で、世界は広がり、ストーリーの背中に乗ってしまえば文字を追うのも早くなった。

そうやって、本を読むことと親密になるのと前後して、自分の中からお話がこぼれ出した。
これは覚えている。
小学4年の時、ノートの表紙に絵の具で描いた絵を見ていたら、お話を思いついた。
ノートの続きにつらつらと書き綴った。
戦争で亡くなった人が霊になり、核兵器廃絶を願うホラーミステリーだった。
先生に見せたら、みんなに読み聞かせしてくれるようになった。書き進めた分だけ毎日だ。
それから、いろいろなお話を作った。

お話を作ることと、本を読むことは両輪だった。
空想はお話作りにとどまらず、絵や遊びの中に入り込み、友だちを巻き込んで、時に一人で、際限なく遊んだ。
いつも空想の中にいた。

担任の先生は、私が作家になると信じたようだが、私は軽業師になることを夢見た。
サーカスの軽業師!
人間技じゃないアクロバット、一言も発せず観客の視線を釘付けるショー。きっと二階の窓から電線をつたって買い物に行ったりするのだ。

目指すは軽技師。
柔軟体操、側転の練習、鉄棒を端から端まで歩くのが学校での日課。
でも私には、入院と通院が必要な脚の病気があった。
体育は見学で、体は小さく、運動神経もさほどよくない。
バレエを習う女の子より体は柔らかくなったけど、バク転をする男の子の仲間には入れなかった。

小柄で痩せた男の子のほうが、バク転はうまかった。
決して太るまいと思った。
脚が治れば早く走れる。
脚が治れば空中前転もできる。
その時、体が軽ければきっとバク転もできる。

でも成長する体は、たやすく裏切って、バク転どころかハンドスプリングが関の山だった。
どうにかして軽業師になりたい。ジャグリングの真似事をし、ダンスの真似事をし、サーカスを夢に見ながら物語を書いた。

自由な世界。何の制約もない場所。
重力も脚のコルセットも、第二次性徴も学校もルールもない。
空想の精度をあげるとストーリーが何処からかやってきて、書いた端からそれが存在し始める。
文字として言葉として物語として、そしてそこに叶わない方の私がいる。

軽業師の動き、軽業師の仕草、軽業師の声、軽業師の眼差し、軽業師の髪の色、軽技師の友達、軽業師の住む部屋。
想像して想像して、あらん限り想像してそのうち何かの弾みで、それが本当の事になるのではないかと、願って、焦がれた。

弓のように引き絞って放つ、憧憬がビューンと飛んでいく。
あの頃の精一杯のその気持ち。

お話を綴ったノートは今でも、残っているはずだ。
10冊か15冊はあるだろうか。
書く時ばかりが楽しくて、ほとんど読み返したことがない。きっと読めたしろものではないだろう。

でもあの時めいっぱい引き絞って放ったものの放物線の軌道が、道しるべのように、たまに見える。






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書いたのは2020年9月、となっている。

最近は長編にかかりきりで更新ができず、何かないかな………と下書きから引っ張ってきました。

今これを読んで思うのは、(分かんないよなぁとか自己愛強めの文だなとかは置いといて)

想像してさらに想像して、空想をどうにか“本当に”したいと願う熱量のこと。

それが原点ですね。



アイウカオ



読んでくれてありがとうございます。