カオカタチ3
言葉をけがさない
大抵のことは所詮は他人事と思ってしまう。インターネット上のことなら尚のこと。
それでも嫌悪するのが匿名の誹謗中傷行為。その中で[プロアマ問わず文章を書く人が言葉で他者を攻撃すること]がどうにも………。
人間なので「そんなつもりではなかった」のに誹謗中傷になっていた、なんてあると思う。
好き嫌い主義主張思想妄想色々ありますね。しょうないですね。
でも[書く人]がわざと狙って人を貶めようとするのは論外。
言葉で何かを作り出す人が、それで他人を害しようとするのは言葉への冒涜だから。
15年くらい前、ある小説投稿サイトの掲示版で「アンチ行為をしますか?(当時はアンチという言い方は定着してなかったけど、主旨として)」という質問があって、数人の作家が「します」と回答していたことに少なからずショックを受けた。
理由も「スッキリするから」「ストレス解消」と答えていて二重に驚いた。
小説サイトなので、作品や作家性をめぐって「クソ」だの「文盲」だのと飛び交っているのには、さほど嫌悪感を抱かなかった。
第三者の私からすると痛烈な感想でも、作者本人は肯定的で前向きに受け取ったりしていて。切磋琢磨の姿勢が多少なりともあったり、ただの悪口で終わっていなかったからだろう。
相互性があるのが自分の中でのラインだったのか?理由は色々だが、否定的な印象にはならなかった。
※それでも作家の卵ならもう少し言い方に気を遣いなよ、自分ならこんな書かれ方したら嫌だよ、と思っていた。怖いので読み専で終えた。まだあるのかな………。※
でも、そういう創作の場を離れたところで、自己満足のために悪口を書き込むというのはいかがなものか。
どこかでどうしても吐き出したいのだろう。
じゃあそれを作品に昇華しろよ、もの書きだろう!
というのが私の心の叫びだ。
同時に自分へのいましめでもある。
言葉をけがすな。
[書く人]にとって言葉は道具だ。魂を乗せる舟だ。
道具は常に手入れして正しく使ってこその道具なのだから。
そんなことは大工さんが金槌で人を殴るようなものだ。
こんなに広い言葉の海で、自分だけが正しいということはない。
生身の体がある以上、感情に振り回されたりもする。絶対に間違わないなんてことはない。
でも忘れないでいたい。
どんなに聞こえのいいキレイな小説を書いても、自分の行いがそれに反していたら、それは嘘なんだ。
どんなにできのいいものを書いても、やっていることが最低だったら書いたものを自分で裏切っている。
※誹謗中傷、ダメ!が前面にきているので以下を書き足しました。
例えば、自分が弱い者いじめをしているのに、「いじめってサイテイですね」という文章を書いたらそれは、言葉をけがしている。
言葉と自身の行為が解離していること、もっと限定的にいうと[自分の正義を自分の行為で裏切ること]に無頓着なら書く資格なしだ。
そんなことしたらただの嘘つきだから。
正義を全うできなかったからこそ書く、という場合もあるけど。
なおのこと慎重でなくてはいけない。
自分のやっていることを振り返る。嘘つきになってはだめだ。※
どんなにどす黒い精神を抱えていても、それを匿名性や優位性を盾に悪意をもって垂れ流すことを、私は私に許したくない。
どす黒さも全部、創作の肥やしにする。宗教じみているかも知れないけど、書くことも一種の求道かもしれない。
文豪は意外と他の作家の悪口を書いたりしたらしいけどね。
/////書いた日2024・10・9(水)雨。何でこんなこと急に思い出したんだろう/////
読んでくれてありがとうございます。