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Nestのインターンを通して見えてきたもの

コロナ感染拡大の影響でNestの事業にしっかりと関わるといったことができなかったものの私にとって自分のやってきたこと、自分のやりたいこと、そして自分自身について深く振り返ることのできた貴重な機会になりました。このインターンでみえてきたもののいくつかを振り返りとして共有したいと思います。

子どもたちのやってみたいを叶えるNest

Nestの企画は子どもたちのやってみたいから始まります。率直な感想になってしまいますが子どもたちのやってみたいが実現する企画をたくさん行っていることはすごいと思いました。

実際「やってみんCAFE」という自分たちで作り上げるCafeの企画ミーティングを見学させてもらった時に今井さんの子どもたちとの向き合い方がとても印象的でした。子どもたちに対して「準備には何が必要?」「日程はいつにする?」といった問いかけをして子どもたちの答えを待つ。子どもたちが考えやすいように、何かを思いつきやすいようにヒントとなるようなものを決して押し付けるのではなく優しく与えていらっしゃいました。それらを受け取った子どもたちが自分たちにやりたいことに向かって少しずつ物事を決めていっていました。

自分たちのやりたいを仲間と一緒に形にしていこうとしている子どもたちの姿はとても輝いて見えました。と同時に子どもたちの「ワクワク」が形になっていく過程を少しでも見れたことがとても嬉しく思いました。

子どもたちの「やってみたい」を丁寧にくみ取ること。そのやってみたいを形にするためのサポートをすること。Nestのお二人や教育長と話す中で子どもたちの学びに対してこれほどまでに真正面から向き合う大人が西粟倉にいることに深く感銘を受けました。自然資本が多くある一方で都市部と比べると本や映画・美術などの文化資本が少ない西粟倉ですが、こうした「やってみたい」が実現できる土壌があるからこそ、新しい「ワクワク」が常に子どもたちから生まれているのだと感じました。

余白の時間は自分と向き合わせてくれる

ここからは私の個人的な学びの話になりますが、私は西粟倉に来てからかなり自由な時間を与えられました。そのことに正直なところとても戸惑っていました。朝から晩まで予定が詰まっていて、毎日やらなければならないことに追われる日々を過ごしてばかりの私にとって何もない時間は恐怖の時間でした。

おそらくそう思っていたのは何もない時間があればあるほど私はだらけてしまうと感じていたからだと思います。たしかにそういう面もあるのかもしれませんが、そうした日々に疲れを感じていた自分もいました。

見渡す限りの木々に囲まれ、緑豊かな西粟倉。そんな自然豊かな環境中でこれまでの忙しい日常とは逆の日々を過ごしました。そうした余白がたくさんあった日を過ごしているとこれまでは時間をかけることができなかったようなことにじっくりと時間をかけられるようになりました。

私にとってそれは「自分自身を見つめ直すこと」でした。やらなければならないことに追われる日々の中で「自分の心は何に揺れ動いているか」を考える時間もなければ、振り返る時間もありませんでした。しかし西粟倉のゆったりと流れる時間の中で自分の心が動くものに向き合い、それがなぜかを考える。そして自分で考えたことを言葉にして人に伝え、言葉を返してもらう。自分で考えることや人とのやりとりを通してぼんやりとしていた自分の形がはっきりしてきたように感じます。日常の中にこういった余白の時間をとることで自分に向き合うことになるのだと気づかされました。

主語を私にすることの大切さ

私が西粟倉に来て学んだことの一つに「主語を私にする」というものがあります。私は長い間平和活動に取り組んできました。幼稚園の時に平和に関心を持ってから平和を伝えることは平和な世界を実現させるために大切なことだとずっと思ってきました。その思いがとてつもなく強いためか、平和を語るときにどうしても「社会」や「世界」が主語になっていました。

福岡さんとのメンタリングの中でも私は「平和な世界のために」「よりよい社会のために」というワードをよく使っていました。それに対して、「その世界や社会の中に『私』は入っているの?」と聞かれたとき、すぐに首を縦にふることができませんでした。

社会や世界のために何かをすることは決して悪いことではなく、むしろそうやって行動できることは素晴らしいことです。ですが、大事なのはその「社会」のため、「世界」のためである前に「自分」のためであることです。思い返してみれば、平和活動をする中で社会にとっていいことをしているはずなのになぜかもやもやすることもありました。それは自分のやっていることを自分を理由にするのではなく、社会など自分以外を理由にしていたからだと思います。自分のやりたいことを自分を理由にして自分の言葉で語れるようにする。自分を主語にして考えることは自分の思う方向に自ずと向くことができるのだと思いました。

私を主語にすることで伝えられる平和の大切さ

そしてもう一つ。主語を私にすることは平和の伝え方そのものを見直すことになりました。前に書いているように私は人に平和について考えてもらいたいとき、それを「社会」や「世界」を主語にして伝えることが多いです。もちろんその平和への思いを伝える時、主語の中に「私」が入っていたと思いますが、主語=私を前面に出して語ることはほとんどなかったように思います。

でも一人一人が平和について思いを馳せたり、考えたり、語ったりできる世界を見たい、実現させたいという時の主語は紛れもなく、「私」(=小林美晴)です。世界や社会に平和を伝えたいという思いの裏には一人一人の人がいると感じた時、「主語を私として語る方が個人の意見としてすんなりと受け入れることができる」という福岡さんの言葉が腑に落ちました。人に伝える時、「社会のため、世界のため」という大きなもののを主語にして自分の思いを語るのではなく、「私はこう思う」と「私」個人として伝えることでより相手に受け取ってもらいやすくなるのだと思いました。

自分の傾向を知り、自分をマネジメントする

西粟倉で過ごして自分についてさらに知ったことで、いろんな私がいることがわかりました。

断れない私。考えてばかりで行動に移せない私。報告・連絡・相談ができない私。ものづくりに夢中になれる私。主語を「私」にできない私。できるできないをすぐに判断してしまう私。完璧にこなそうと頑張ると言ってしまう私。変えられないものを変えようとする私…。

書き出せばきりがないほど自分について言語化することができました。自分のことを言語化できるといいところもそうでないところも自分でしっかりと理解できます。そしてたいていうまくいかないときは自分の悪い部分がでてきている時です。そういう時に「あ、今自分の傾向がでてるからうまくいかないのかも」と意識できるのとできないのとでは次に踏むべきステップも変わってくると思いました。

さいごに

2週間と5日という短い滞在期間でしたが、さまざまな方との出会いの中で交わした言葉ひとつひとつに私の考えや価値観が大きく揺さぶられました。西粟倉で過ごした時間は私にとってかけがえのないものになったことは間違いありません。これからの生き方に悩む時期に西粟倉に来ることができて本当によかったと思います。ありがとうございました。

小林美晴

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