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体育館に隔離をされた思い出【6/9】

中学と高校では、極端なクラスに所属することが多かった。中学のときにいたのは、勉強の成績が学年1位(ただし1人の優秀な生徒が全体を底上げしてくれていた)だけど、運動会ではダントツの最下位というクラスだった。

運動会の途中でふと、「どう考えても、私たちが運動で高みを目指すなんて到底無理なんだから、いっそのことダントツの最下位を目指してしまおう」という話が誰からともなく出て、最終的にはむしろ喜んで最下位に飛び込んでいくような勢いだったと記憶している。

私は全員リレーのトップバッターで、というか、トップバッターというのは総じてクラスのなかで早いほうの人に白羽の矢が立つタイプのポジションなのに、走りのおそい私が担当していた時点でもう我がクラスはいろいろ終わっていたのだろうけど、自分なりには一生懸命走って、誰のことも追い越すことなく最下位を爆走し、2番手にバトンを渡すことになった。

とはいえ、私たちのクラスは最下位になろうと全力で邁進しているのだからむしろ最高な結果であろう、と妙に誇らしい気持ちだった。

15歳にして、とりあえず、正攻法で叶わないときは、世界を逆からみておけば気持ちがぐんとらくになることを知った。

で、今度は高校生になってから、運動はよくできるけど、勉強がからっきしダメなクラスの一員になった。

記憶が確かなら、運動会ではダントツの1位。優勝だ。

私は特に貢献した記憶がないんだけど、そりゃあもう本当に1ミリもないんだけど、とりあえず応援だけ熱心にしていたら、いつのまにやらクラスが優勝してくれていた。

コカコーラを校庭に持ち込んで、ビールかけをするかわりにわしゃわしゃとコーラをかけあった。優勝に一切貢献してなくても、祭りのムードの内側に入ってしまえば、割といとも簡単に気分がよくなることを17歳で知った。

なお、中学から高校にかけて、私の運動能力にはほとんど変化はない。変わったのはガワのほうだけだった。私以外の30人強の成績の平均が違えば、外からみえる評価は一気に違ってくるのだ。

ちなみに高校のとき所属していたクラスは、素行の悪い人々が多数所属しているクラスで、なかでも一番ひどかった不良は校庭の真ん中でたばこを吸っていたと記憶してるのだけど、そのせいなのか、学校公開の日にクラス全員で体育館に隔離をされたことがある。特に悲しくはなかった。

(でも、学校の対応のあまりの極端さに、「こういうことってあるんだ!」とびっくりはした)

なかには校則をなにひとつ破ったことのない、とても真面目なクラスメイトもいたけれど、そんな彼女もしっかりと一緒に隔離をされた。こういうときは、なんでもかんでも連帯責任になるというのがよく理解できた。

彼女はいまどうしているんだろう。

元気だろうか。彼女にとっては隔離の思い出はどううつっていたんだろうか。黒歴史じゃないといいなと思う。

いや、大丈夫か。

自分のせいじゃなかったということは本人の目からみても一目瞭然だったはずだから。世の中、たぶんあそこまで明確じゃなかったとしても、自分のせいじゃないものに、ぐわっと巻き込まれていることって結構ありそうだ。


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