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ビザってパスポートに貼られるものなのか【12/28】

旅行の準備が着々とすすんでいる。まず黒いダウンジャケットが届いた。これは、中国の山のほうで、ジャイアントパンダのシャンシャンに会うために必要なもののひとつである。

シャンシャンはガラス張りの庭で過ごしているので、その様子をじっと眺め、カメラにおさめようと挑む我々はできるだけ、ガラスに洋服がうつりこみにくいよう黒い服を着ておくといい。

ゆえに本気のパンダファンたちは黒い衣服を身にまとった人がおおい。

自分は、これまでは紺色のコートでなんとなくごまかしていたが、ついにZOZOで購入した。推しの影響で衣服を変えるのははじめてだ。

中国に渡航するためのビザの受け取りも完了した。

ビザってパスポートに、ちゃっ!って貼られるものだなんて知らなかった。これなら管理がしやすいねって思う一方で、もしパスポートをなくしたら一気に全部失っちゃうってことだよね……っても思う。それはそれでこわい。

と、心はもう休暇にまっしぐらなんだが、仕事はぜんぜん終わる気配がない。今日はビザ申請センターの近くにあるベローチェでしっかり労働をした。少しでもお正月気分になりたくて、メールに🎍のマークをつけがちになっていたが、それ以外はわりと平常運転だ。予定通りに仕事がおわらなかったのもある意味では平常運転……なんだろう。

ところでふと、過去の自分の日記を読み返していたら、ここ数年だと、2016年ごろの自分がいちばん気持ちよさそうに文字を紡いでいるのに気づいた。

気がついて、うわあってなった。なぜ2016年なのかには、心当たりがある。ありすぎる。

2017年以降、フルタイムの労働としてメディアの仕事をするようになって以降、それまでは特に言われてこなかった類の指摘をいろいろ受けるようになったのだ。

日本語のあつかい方を怒られる機会がけっこう多めにあった気がする。私は、言葉ってわりと自由に粘土のようにこねて、そこそこ好きな形にしちゃっていいものだと思いすぎているふしがあった。それがだいぶ裏目に出てしまっていたのだろう。

「日本語がおかしい」「文法がへん」「もっと正しく」「正しくない」「正しく」

言われるたんびに、自分で自分が信じられなくなって、どっちにいけばいいのかがわからなくなりはじめていた。ような気がする。うろ覚えだが。

ただ、最近はちょっと大丈夫。いや、だいぶ大丈夫かも。そのあたりを怖がることが大幅に減った。そうしてみているうちに、だんだん、フルタイムの仕事で記事をつくるようになりはじめる以前の自分の書き方ってこんな感じだったな〜というのを思い出しはじめている。

以前はわりと「書くこと」にたいしていま以上に、感覚にまかせっきりにしているところがあった。だから正しさとの間で迷子になって、いろいろ見失ったんだと思う。

いまはもうちょっと自分の筆致を仕組みの部分からつかめている気がする。

あ、いやちょっとまって、ちがうかも。筆致の仕組みというか、なにをアウトプットしたいかっていうおおもとの部分に関する話なのかも。つかめてるのは。

つかんだからといって安心できるものじゃないんだけど。でも一周まわって、帰ってきたいところに帰ってこれているんじゃないか。

それに気がつけたのってたぶん、わりと大きいことなのでは。こわいものが減るのはとてもいい。平和主義なのだ。安心して暮らしていきたい。


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