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待ち合わせ(小説16)

駅前の広場のベンチに腰掛け、彼女の到着を待つ。

駅の方に視線を向け彼女を探すが、人々が次々と行き交い視界を遮る。車や人の声、足音が絶え間なく流れ続け、スマホの通知音は耳に届かない。

今はもう慣れたが、初めて東京に来た時、この人の多さには驚かされた。

地元では、駅前で待ち合わせしていると結構な頻度で、知り合いを見つけるが、東京ではそんなことないと言い切れるくらいに人が多い。

だからなのか、たとえ待ち合わせてあっても、会うとすごく安心して、何故か感動する。

そして、高めのテンションで思わず「おぉ!」って言ってしまう。


それにしても待つのは大変だ。こんな人の多い中見逃さないようにあちこちに気を配らないといけない。

待ち合わせの時間は少し過ぎている。

僕のポリシーは待ち合わせの時間には必ず遅れないこと。

どうしてかと聞かれると少し困る。はっきりとした答えを持っている訳ではないから。

でも、大前提として時間を守ることは大切なことだ。

それに、学校や仕事、飛行機の搭乗時間には遅れないくせに、人との待ち合わせに遅れるのはどう言うことなのだろう。

人と会うことに本気にならなくて、いつ本気になるのだ?

学校や仕事に本気を出すことを否定する気はない。でもなんでそこで本気を出すのか考えたことがあるだろうか。

学校で頑張れば、社会に出た時にいい待遇を受けられる可能性が高くなる。仕事も同じようなことが言える。

そのために、本気になることはいいことだと思う。だけど、その先に何を見ているのか?

いい待遇を受けて、他の人に自慢したいから?

中にはそう言う人もいるだろうが、それは虚しいような気もする。

多分多くの人は、いい待遇を受けることで幸せになれると思っているから頑張るのだと思う。

じゃあ幸せってなんだろう?「人は人と関わることで幸せを感じる」なんてことはよく言われるけど、本当にその通りだと思う。

1人で生きていくことはできない。

必ず人との関わりがある。その中で幸せを見つけていくのだと思う。

もちろん形は人それぞれで、恋人、友達、仲間、自分の子供だったりする。

そう考えると、あんまり仕事や学校で本気になる必要はない。いい待遇を受けているからと言って、必ずいい人と巡り会えるわけではないから。

だからと言って、もちろん手を抜いていいわけではない。本気になることはいいことだ。

ただ、本気の順番が違う。

人と会うときに1番本気になるべきだ。

なのに彼女はそれをわかっていない。せっかくだ、この機会に待ち合わせについてどう思っているのか聞き出そう。彼女と会った瞬間に聞こう。

約束の時間を10分過ぎた。

彼女からメッセージが届いていることに気づく。
「ごめん、少し遅れる」

これで何回目か。「わかった」と返信すると、少しため息をつく。

すぐに既読になり、「今着いた」と連絡が入る。

僕は立ち上がり、駅の改札を目指す。
「どのあたりにいる?」メッセージを送ろうとした時、後ろから肩を叩かれる。

振り向くと彼女がいた。

僕は顔をほころばせ「おぉ!」と言っている。

「待たせてごめんね、とりあえず移動しよっか」と彼女が言う。

2人で手を繋ぎ駅を離れる。

何か言い忘れている気がするが、もうどうでもよかった。

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