見出し画像

展覧会:Bacon en toutes lettres

2019/10/3 @Centre Pompidou

邦題にすると「ベーコン:本と絵」展 だろうか。英語の題は“Bacon: books and painting” 。会期は2019/9/11~2020/1/20。

POP CARDという、ポンピドゥセンターの年パス (最高)を買った。この展覧会で、POP CARDを初めて使った。最高だった。POP CARDは学生なら20€ちょっとで作れる。ポンピドゥセンターの展覧会/常設展を見ると、一回で10€くらいするので、2回くらい行けば元が取れる。また、映画やミュージアムショップで割引が受けられる。さらに、館内に優先入場できるので、あの長い列に並ばなくていい!!!最高!!!(Carte Blanche というMusée d’Orsay とオランジュリーに入れる年パスも買ったけど、まだその威力は確かめていない。)(うねうねした柄の黄色いカードがPOP CARD)

Francis Bacon(1909〜1992)は、アイルランド生まれのイギリス人で、抽象絵画が全盛となったWW2以降の美術界において、具象絵画にこだわり続けた画家だという(Wikipediaによると)。同じ名前で、16世紀の哲学者もいて、長らく二人が別の人物だと気づいていなかった(バカすぎ)。

Lucian Freud(1922〜2011)とも親交があった(フロイドの肖像をモチーフにした絵が有名らしい)。David Hockney(1937〜)もイギリス出身。HockneyはL.Aに本拠地を移したから、「イギリスの画家」とくくるのも難しいのかもしれないが、Bacon、Freud、Hockneyという、一応、「イギリス出身」の「具象画家」が十年ごとに生まれているのだと知る。さらに10年後にはAuerbachと言う人もいるよとGoogleは教えてくれたが、見たことがない。

Rothko(1903〜1970)とほとんど同世代、というのも知らなかった。第二次世界大戦以降の世界の絵画の状況が分かっていない。1950年代以降〜1960年代半ばあたりまでの絵画の歴史は、復習する必要があるといつも思っている。勝手な印象だけど、そのころは、とても頭の良い画家たちの時代だったように(一種冷たい時代のように)感じる。抽象表現主義時代のアメリカの隣に、具象絵画のイギリスがあった、というのも面白い。面白そうと言いつつ、また勉強を先送りにする(から良くない)。

多分、私がFreud とBaconを初めて見たのは、ロンドンのTate Britain だったと思う(嘘かもしれない)。その時の印象は、その時代のイギリスの絵、怖い、夢に出そう、だった。絵として似てはいないけど、でも受け取る感情は似ていると思った。そしてどちらとも、意外と、デバイス上で見たイメージとそんなに変わらないな、という印象だった。それ以来のBaconだった(Freudはそれ以来見ていない)。

今回の展覧会は1971年から1992年のベーコン作品(「後期」ベーコンとでも言えるのだろうか?)、6つのテキスト(ベーコンの蔵書から引用したもの)をもとにできている。1971年にGrand Palaisで行われたベーコンの回顧展以降の、ベーコンの表現の変化にハイライトを当てているとのこと。

Pompidou で配布されていたこの展覧会のパンフレットによると、「ベーコンは自分の作品が文学的に、あるいは語りとして解釈されることに反対していたが、1000冊以上を擁する豊かな蔵書は、書かれた言葉に対するベーコンの興味を明らかにしている。ベーコンの言葉によると:『偉大な詩人は、イメージを呼び起こす、途方も無いトリガーになる。詩人たちの言葉は私にとって極めて重要だ。彼らは私を刺激し、私の想像力の扉を開ける。』」

展覧会中で引用されている6つのテキストは、アイスキネス(Aeschines)、ニーチェ、エリオット、Michel Leiris(フランスの作家、詩人、民族学者で、シュールレアリスムの運動に参加したらしい)、コンラッド(『闇の奥』からの引用)、あとはバタイユによるものだった。それぞれがそれぞれに、ベーコンの、悲劇に根ざす詩的想像力の世界を誘発するテキストである、とのことらしい。

絵画の展示の合間合間に、それぞれのテキストの朗読を聞く部屋があった。休憩がてらに、そこに座るひとも多かったように感じる。この展覧会は平日にもかかわらず混んでいて、作品数もそこそこ多かったし、しかもポンピドゥーの最上階でやっていて、そこに行くまでに時間がかかったのもあって、かなり疲れた。ので、おそらくこのキュレーションの要であったろう、「テキストとイメージの往還」的なことは私はあまりできなかった。

ベーコンの言葉をお洒落なフォントで壁に貼るとか、そういう解決策もあったと思う。あれ、それもやってたのだったか。あまり記憶にない、ということは、そんなに目につくようにはしていなかったのだろう。多分。それは、イメージはイメージとして見てほしい、というベーコンの意志を尊重したものだったのかもしれない。キャプションも充分あった、という感じではなかった。

朗読の部屋も、テキストが大きく貼り出されているわけではなく、本当に朗読を聞くための部屋、という感じだった。色々思い出すと、気遣いに溢れた展覧会だったな。

ベーコンの色味は、こんなに空恐ろしい色味だったっけ、と思った。ピンク、水色、オレンジ、どれも「パステルカラー」っぽいのだが、どこか違う。悪夢の色、という感じ。明るくて綺麗な色だけど、落ち着かない。壁紙にしたら病気になりそう。記憶にある色は、もっとあからさまに暗くて冷たくて怖い色だったから、驚いた。

また、自画像がやばかった。自画像から始まって、最後のところにベーコンのインタビュー映像があるのだが、自画像のヤバさに比べて、本人は至極普通そうに見えて、面白かった。portraitの展覧会が、ルーブルでやっていたような気がするので行こうと思った。自画像は、いつも注意して見ている。偉大なる画家であっても、クソが!!と思う自画像のやつもいて、そういう画家とは仲良くなれないだろうと思う。Baconは、やばい自画像をあえて描いているわざとらしさと、わざとらしいけどそうなるしかなかった昏さみたいなものを同時に感じた。マジリスペクトだが、生活を共にするパートナーにはなれなさそう(?)。

あと、忘れていたが、意外と、絵が立体的で。絵の具がべちょっと盛り上がっている部分があったりして驚いた。具象的な絵は、どうしても、平面のイメージで覚えてしまうけど、そのべっちょり具合を見て、展覧会に行ってよかったと思った。

あと、矢印、丸、直方体、など、いくつかのモチーフを繰り返し使っている。彼自身にしか思いつかない変形された人体みたいなイメージが強いが、そういう記号みたいなイメージも使うのだなと思った。ベーコン、すごく、研究が楽しそう。解釈されること(文字情報に起こされること)を拒否していたのかもしれないけど、それでも、なんとか説明したい!みたいな欲を掻き立てる絵だなと思う。

ダリが好きでいつか買いたいと言っていた友達には、ダリはやめてベーコンにした方がいいとアドバイスしたいと思ったけど、でも、ベーコンを居間に飾っている人と友達にはなれなさそうだ…と思ったり。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?