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隆起するアートの存在、作家の主体性

作家の主体性というものは時代とともにどう変化しているのだろう。写真の業種によってはカメラマンの主体性を消す事に意義がある場合もあるが、アート作品としての作品について言及するのであれば、唯一無二の自分らしさをどう出すかが非常に重要なポイントであることは間違いない。簡単に言えば、既存の写真に無い新しい要素である。

いい写真であるが、どこそこで見た事ある既視感を覚えるものは写真史の中では価値を持たない。決してエポックなものが良いという訳ではなく、時代性に基づく相対性価値をどれだけ含んでいるかということになる。

情報過多な時代だからと言って、オリジナルに到達するのが困難になったというわけでも無い。その苦しみはいつの時代も等しく厳しいものだ。先人の模倣をしそこから新たな道を切り開くのも良い。オリジナルに近づく為の模倣は必要だが、模倣すること自体がメーンになってしまう例を時に見る。その事に一番気がついているのはその作家本人であったりするのだが、おそらくその時は既に負のスパイラルに巻き込まれてどうする事も出来ない状態なのだろう。

時代と共にどう移り変わったかということについて一つ言えるのは、セルフプロデュースメントの才能がより必要になってきていることだと思う。過去を見ればキャパが自分の作品を売り込むために架空の写真家「ロバート・キャパ」を作り上げた例もあるが、SNS時代、より顕著になったと言える。

それに関しては写真作家が皆色々と考えていらっしゃるとは思うが、やはりそれが上手い人は抜きん出る。

大きくみれば日本がのんびりとし過ぎていたのかもしれない。

今日の一枚 RD1s PERAR21

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