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鮪餃子クロニクル

肉を喰らう、という習性を一切断ち切ってしまったのは二年半程前の事だったか。(肉食の頻度が徐々に低下し、自然消滅した結果ぺスカタリアン=魚食主義者へと移行したため、時期についての記憶が曖昧。)
以下に「食」に関する自らの遍歴を簡潔に記す。


STEP1 給食地獄(幼稚園小中12年間)

  • 私は幼少から食物アレルギーや野菜に対する好き嫌いが非常に多く、学校給食は大部分が食べられなかった。

  • 見かねた祖母が学校帰りによく作ってくれたのが「青汁粉末入りじゃこお好み焼き」で、まさに自分にとってのソウルフードだった。

  • 野菜の食感、苦味や青臭さが極度に苦手だったため、郷土料理ベースの給食センターとは相性が悪かった。また、メインの品にアレルギーのある生徒に代替物を提供するシステムが無く、不憫な思いをしたことを覚えている。

  • 小学校低学年時の担任がその日の付け合わせメニュー「フキの煮物」をポリ袋に入れ、それを拒否する私の口に無理矢理流し込ませた。結果的に中学卒業まで野菜拒否スタイルを貫くことに。

  • 偏食について同級生から誹られることも多かったが、カレーライス等、稀に野菜含め完食できるメニューもあり、その際にはクラスがざわめいたものだ。

  • お弁当の日が定期的にあり、これは一変してチートDAYだった。(冷食最高)

STEP2 コンビニも、学食も、あるんだよ(高校生活)

学食のある高校へ進学。あらゆるメニューが美味し過ぎてあっさり野菜克服。 鯨飲馬食の日々を過ごしていたわね…

STEP3 ほー いいじゃないか (大学生活前半)

音大に進学、徒歩圏内の物件に住むことに。
節約のため自炊中心。といいつつ
外食も結構行っていた。食文化を学ぶという名目で。

とある日の買い物中に、「無塩せき」ウィンナーというのを見つけて、
市販のウィンナーやベーコンの多くに「発色剤」が使われていることを知る。当時スキレットで肉や野菜を焼くのにハマっていたため、オーセンティックな肉本来の色味、みたいなものにアンテナが敏感だったのだろう。
価格帯も然して変わらないので、発色剤不使用品を選んで買うようになる。
以降無添加志向に。

STEP4 哺乳類は同胞なのでね (大学生活後半)

「同じ哺乳類の動物の肉を食べている自分ってもしかしてちょっと残酷…?」
毎回そのことが浮かんで罪悪感に傷心するくらいなら…と鶏肉をメインに食べるようになる。

STEP5 否、肉自体喰わぬ (コロナ禍)

鶏の生肉の購入をやめ、焼き鳥や冷食のつくねを食べる生活をしていたが、食べると気持ち悪くなってしまうことがあり、次第に食べなくなる。できれば肉料理の画像も見たくないと思うように。
当然あらゆるソーシャルメディアに肉料理の画像映像が溢れているので、初めは観るコンテンツを制限することで対処していた。次第に耐性がつき、現在では目にしても食べ物というよりは、そういうアイコンとして認識するということが出来るようになった。(絵文字と同じ。)

STEP6 代替食研究 (現在)

豚ひき肉の代わりに煮物用として売っている鮪肉を代用した鮪餃子や、
牛しぐれ煮の肉を大豆ミートに代替したものなど、肉が食べられないせいで諦めていた料理をレシピの工夫でぺスカタリアン対応にモディファイする試みをしている。たのしい。


〈付録〉鮪餃子レシピ

生鮪肉    適量
椎茸        1個
キャベツ 適量
ニラ   適量
ネギ   1/4本
香菜(パクチー)適量 
塩ひとつまみ
ホワイトペッパー(パウダー) 2振り
みりん  大匙1

上記の食材をすべてフードプロセッサー等で粉砕。
餃子の皮(隆祥房 国産小麦の餃子皮 を推奨)で適量を包み、
油を敷いたフライパンで焼く。途中で水を入れ蓋をし、蒸し焼きに。
水気が無くなるまで焼き上げて出来上がり。

※鮪肉が血合の場合は生姜すりおろし必須。

鮪餃子たち。

最後に

・ぺスカタリアンは外食の選択肢がだいぶ狭まるよ
・皆各々自分の好きなものを食べよう。

おわり


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