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子育てにおける正義の危険性
わたしの住む浜松市で、こんなことがありました。
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ミサンガが中学生活で可か不可か、教員の指導が適切だったかどうかは別な議論として、このニュースを見て、真っ先に思ったのは「どうしようもなかったんだろうな」ということでした。
「過剰では?」「学校はもっと毅然とした態度で」という意見が出るのはもっともです。わたしもそうするべきだと思うのですが、一方で、どうにも話の接点が生まれなくて、屈さなければ多方面、とりわけ一番守りたい子どもたちの行動が塞がれるという、もっとも相手が嫌がる方向へ追い込むのがとても上手な人はいるんです。ある程度の規模の集団をまとめたことがあったら、経験したことがない方はいないと思います。
厄介なのは、相手は自分の正義で動いているということです。
だから、このミサンガのお母さんも、こうしてニュースになると「非常識な人」に見えるかもしれませんが、本気で「我が子を愛している」という正義に基づいている場合、教育機関は否定することはできないんですね。しかも公立ですから、正義対正義の話し合いでは相手を一方的に負かすことはできません。
日本の教育の問題は、「ふたつの相反する意見があったとき、相手の話を聞きながら建設的な落とし所を見つける」というプロセスを経験していないことです。
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