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音楽教室をお休みにした理由〜わたしにしか見えない風景〜

浜松市で音楽教室を開いています。土曜日の朝から夜まで、2才から18才までの子どもたちのべ80名に会います。リトミックというグループレッスンが主です。

3月の全国一斉休校以来、家の中に閉じこもったままで、教室が唯一の息抜きという親子もいました。運動不足の子もいました。教室に来ると、とても楽しそうに動いて歌っていました。

クラスの人数を減らし、時間を空け、換気や手洗いに気をつけ、もう少し危険が目の前に来るまで、なんとか教室は開けておこうと思っていました。わたしの教室はある一定の価値観に基づいて集まった保護者さんたちですから、話が合うこともあると思います。ここでしか話せないこと、お互いに変わらぬ顔を見てホッとすることもあったと思います。

このまま浜松では感染が広がらず、平和に過ごせたらなぁと思っていました。静かにみんなで気をつけていれば、レッスンができるかもと思っていました。

それが、ある土曜日の子どもたちを見て、周りはまだどこも休講していませんでしたが、全面休業を決めました。

もしかしたら、わたしに見えた風景は、なかなか一人一人では目にすることのできないものだったかもしれないので、お伝えしようと思います。

まず真っ先に、医療関係や消防など、第一線でコロナに向かってくださっている方、それからその方々の子を預かっている保育士さんのお子さまが、レッスンをお休みするかどうかという局面に立たされました。「感染していないと言い切れないから」という理由です。

わたしは、きっと、働いているママやパパは、ご自身の仕事に覚悟を決め、誇りを持っていらっしゃると思うから、そのご家族も、やっぱりそういう運命だと覚悟して,お休みして支えるしかないと思う、と考えを伝えました。必ずまた来れるから、がんばって、と。

直接、お母さんやお父さんとお話をしました。難しいだろうな、苦しいだろうな、と思いました。涙を浮かべている方もいらっしゃいました。そうだよね、まだみんな普通に通っているのに、自分たちだけがなぜ、って思うよね、と思いました。

まだまだ浜松は呑気なものでした。ただ、第一線のご家庭のみが、人とは違う危機感を持っていらっしゃるという雰囲気でした。

「レッスンは行いますが、ここしか息抜きできないという方のためであり、決して、絶対に感染しない,大丈夫と思っているわけではありません。やってるなら行かなくちゃ、じゃなくて、ご家庭でお考えの上、お休みなさってください」と連絡しました。

「お休みします」という連絡がポツポツと入り始めました。だいたい、2才から6才くらいのご家庭でした。

ずっと情報とにらめっこし、今日はどうか、明日はどうか、いつ判断しなくてはいけないか、やった方がいいのか、やらない方がいいのか、そういう毎日でした。

3月の休校時、それから、明けたときは、大人の方が不安定でパニックになっている感じでした。浜松では、「仕事どうするの?!」「留守番どうするの?!」のうろたえの方が強かったように思います。レッスンで会う子どもたちは、これまでとあまり変わりませんでした。

ところが、4月最初の土曜日、来週から学校や幼稚園が始まるという日、明らかに子どもたちの様子がおかしくなっていました。お母さんと離れられない子が増えました。疲れてぐったりしてる子が増えました。落ち着かない様子で興奮状態の子が増えました。

お休みの子もいたので、10名くらいのクラスでも3〜4名しかいなくて、それで不安定になっている子もいました。

それがだいたい2才から6才までの風景です。おそらく、「来週から学校/幼稚園が始まるけど、大丈夫なのかしら」というご両親の不安が、伝わっていたと思います。レッスンに来られることも、迷い迷いな方も多くいらっしゃったと思います。

ところが、ここから先(小3以上)は、コロナなんか全然関係ないみたいに、お休みは全くおらず、子どもたちも元気でした。不安がったり、恐れたりしている様子は見られず、とても落ち着いていました。

中高生はもっと元気でした。「部活もないし、つまんない。早く学校に行きたい」と、エネルギーを持て余している感じもありました。

育ててみたら分かるけど、小学校高学年から中学生は、大人と子どものちょうど間で、育て方や接し方がとても難しいのです。その難しさの要因のひとつに、「急に大きくなるわけじゃない」ということがあります。昨日と今日、何が変わったのか,毎日会っているからよく分からない。いつ、しっかりし始めるのか、親はなかなか実感がない。だから、いつまでも子ども扱いしている面もあれば、「こんなことくらい、できるでしょ?」とある面では大人として扱う。そのバランスが、とても難しいのです。

だから、中高生の危機感が薄く、行動に制限をしないことに関して、頭ごなしに言っても聞かないし、かといって自覚を持って行動できるほどの思慮深さもなく、「じっと家にいさせろ」というのは、現実的には簡単ではないだろうということは理解できました。

また、親は子どもの不安そうな様子や悲しい顔は見たくないものです。こんなご時世なのに、明るく元気に過ごしている我が子の様子を見るとホッとすると思います。小3以上の子は、せっかく落ち着いて元気に過ごしており、学校を楽しみにしているのに、「あのね、今、コロナが大変でね」なんて、水を挿すようなことは言いたくないのは当然だと思います。

一方で、小さな子はまだ不安を上手にコントロールできない。理由も分からず涙をポロポロ流し、お母さんにしがみつきます。おねしょやドモリに出る子もいます。ちょっとした病気や怪我が命取りになることが、まだまだ怖い年齢です。

この、子どもの世代の違いによる、親の不安感のギャップは相当なものだろうと、数時間のうちに続けて見たわたしは強く思いました。

東京では感染者が1日で100人を超える事態となりました。浜松はまだまだでした。

どうしよう、どうしよう。どうしたらいいんだろう。

まだ周りは休業には入っていません。差し迫って廃業の危機のない状態で、真っ先に収入が無くなることへの不安もゼロではありませんでした。お金のことを言っている場合じゃないけど、現実的に、明日からの支払いをどうするのか、今じゃないのかもしれない、まだまだ、職業的には踏ん張らないといけないのかもしれない。数ヶ月前に法人化したばかりで、全く経営が安定してもいません。

リーマンショックのときに、不景気を経験しました。わたしたちの職業は、不景気の直後ではなく、みなさんの収入が減ったことが家計を直撃し始めてからジワジワと切られていきます。そうして、リトミックのような、目に見えない教育は、景気が回復してからも価値に対する理解を得るまでに時間がかかります。その恐怖もなくはありませんでした。大きな理由ではなかったけど。

もちろん、街全体が「これは危ない!」という状態になったら閉じます。でも、今なのか。今はまだ浜松は危機感が薄い。学校も通常通り始まるって言ってる。入学式もある・・・。このまま何ごともないかも・・・。

一晩考えて、次の日曜日、2才から通っている新高校生3人と記念撮影をして、一緒にお好み焼きを焼いて食べました。調理の間も、卒業アルバムを見せてくれて説明を聞いている間も、生徒というより、対等に会話のできる友人のようになっていました。面倒を見ているわけじゃなくて、一日中、ずっと遊んでても全然飽きないのです。

「大きくなったなぁ・・・」って思いました。

ここまで、いろんなことがありました。叱って号泣させたこともありました。お母さんたちの子育て相談にも何度も乗りました。

大きくなったなぁ・・・。

それとなく、コロナの話題も出ましたが、体力もある子どもたちです。あまり危機感はなく、「学校に行きたい」と言っていました。

「この子たちは大丈夫」、そんな感じがしました。この子たちとずっといたら、小さい子たちの親のような危機感を持つのは本当に難しいだろうと感じました。おそらく、自主的に「あなたたちが感染源になるかもしれないから、学校を休みなさい」という親は皆無だろうと思いました。市や県、国からは何も指示が出ていないのに。

ところで、わたしが今の教育観を持ったのは、小4から小6の担任の先生の影響です。

その先生は、わたしにいつもこう言っていました。

「お前は力のある子たい。責任者になる子たい。責任者は、弱い立場の子のことをいつも考えてやらねばならん。たとえ、自分ひとりがやったことではなくても、ひとりだけ頭を下げるのが責任者たい」

今、立場の弱い子は誰でしょうか。

少なくとも、高校生じゃない。小さい子です。その中でも、第一線でコロナに向かってくれている方々の子どもたちです。

わたしの教室は,今は100人もの生徒がいます。もちろん、最初からこうだったわけではありません。ツテもコネもない、名声も実力もない先生が開いた教室に来てくれたのは、「他のところでは断られて,行くところがない」というお母さんたちでした。どのクラスにも、障害や病気を抱えた子、家族を亡くす経験をした子など、少数派の子たちがいました。

わたしも小さい我が子を抱え、いろんなことがありました。突然、お休みにさせてもらうことも何度もありました。いつも、「他に行くところがないから」と言って、マイノリティ(少数派)の子のお母さんが待ってくれていました。その子たちに支えられ、「専門家じゃないから、正しい接し方はできないかもしれないけど、まず、やってみるね。もし困ったことがあったら言うね」と言ってレッスンをさせてもらったのです。

マイノリティの子たちが、海の物とも山の物とも分からない、田舎のリトミック教室を、ずっと信じて楽しく通ってくれて、それがマジョリティの方達にも徐々に理解されるようになって今があります。既に結果が分かっているところに飛び込むのは簡単です。「あそこの教室は良いらしいよ」という評判は、マイノリティの方々が作ってくれました。

100人の生徒のうち、年齢が小さく、第一線で働く両親を持つ子は5人もいないかもしれません。

でも、この子たちのための教室なんです。この子たちが来られないミューレは、ミューレではないんです。

みんなで力を合わせて,この騒動がおさまったら、真っ先に「ごくろうさま!!よく我慢したね。走れ〜〜〜〜!!」って教室に迎えてあげたい子たちです。お母さんにもお父さんにも「ごくろうさま。待ってたよ!」って、最初に言いたい。

今、わたしが一番大切にしたい生徒はこの子たちです。

だから、全クラスをおやすみにして、「元気なわたしたちが動きを止めよう」というメッセージを送ることに決めました。最初は2ヶ月くらいかな、と思っていました。でも、緊急事態宣言の甘さや、相変わらず県外ナンバーであふれている,浜松の駐車場を見て、あぁ、長引くなと思いました。

元気な人はいいんです。騒動が明けたらすぐに日常に戻れるでしょう。経済的な打撃も薄い人はすぐにならいごとを始めたいかもしれません。学校に行きたいかもしれません。でも、たぶん、まだまだこんなにのんびりとした浜松において、もう出られなくなっている子が、最後まで出ることができないでしょう。

難しいことは分かります。わたしも大きい子たちに接していて、感じました。止めるのは難しいです。

でも。

小3以上の、元気なお子さまをお持ちのお父さんお母さん。まだまだコロナの影響なく、自由に働き、自由に活動できる方々。

動きを止めてください。子どもを説得してください。今の状況について話し合い、「今、あなたに何ができると思う?」って聞いてください。自分がうつる、うつらないだけじゃなくて、今元気な人の動きが、さざなみのように広がって、誰かの脅威になっているかもしれないという想像を、子どもたちにさせてください。真剣に向き合えば、きっと理解できます。高校生も止められます。

危機感の薄いご家庭ほど、止まってあげませんか。自分のためにもなるかもしれないし、誰かの命を救うことになるかもしれません。

大袈裟かもしれないけど、それがちっとも大袈裟じゃない立場の人が浜松にもいる、ってことを考えてもらえませんか。

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