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強く生まれた者でなくても、せめて自分の行動の責任はひとのせいにしないように(自戒を込めて)

鬼滅の刃劇場版 無限列車編を2回目ということで轟音バージョンで観てきた。いわゆる爆音上映というやつで、特に戦闘シーンの低音がずっしりと身体に響き渡り、迫力をより感じられた。

煉獄さん人気は半端ない。アクリルスタンド第二弾だったら煉獄さん買えるかと思ったら速攻売れ切れたらしい。なので今回も禰豆子のアクスタを買った。

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禰豆子が映画のパンフレットを読んでいるメタバージョン笑

それはともかく。煉獄さんのあそこまで絶望的な状況に陥っても、鬼の甘言に惑わされること一切なく、母の意志を継ぎ、命を燃やし尽くして弱き人たちを守り抜く精神力の強さはやはり惹きつけられる。ヒーローとは単に戦闘力の強さだけではなく、精神力の強さなのだと改めて感じた。

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※『鬼滅の刃』8巻参照

しかしぼくを含め、凡人やそれ以下であったとしても、自分以外のひとのために行動しようとしたり、守ろうという気持ちを持つことはある。だけど煉獄さんみたいな強さを持っていないから、追い込まれてしまった時に弱さがどうしても出てしまう。

過去、ぼくも守り抜くと決意しても、結果キャパオーバーで自分が潰れてしまったことがあった。そうなるとむしろそこから逃げなくては自分がもたないことの方が多い。助けようとして自分自身が死んでしまっては元も子もない。でも、多くのひとはそれが普通なのだ。それは仕方ないことだ。それを悔やんでもどうしようもない。ただ問題はその先にある。

それは、自分の決意や行動で潰れてしまったことを、守ろうと思ったひとのせいにしてはいけない。恨んではいけない。憎んではいけないということだ。

これは単に綺麗事を言っているのではなく、それに囚われてしまうと、自分自身が鬼になってしまうからだ。その行動の末に志半ばで折れてしまったとして、それでどんなに借金を背負おうと、自分にどんなに後遺症が残ろうと、決して相手のせいにせず、自分の決意や行動したことを誇りに思おう。

みんながみんな煉獄さんみたいにはなれない。でも、だからといって自分の心に鬼を宿すのではなく、どうしようもなくなってしまったのは誰のせいでもない。また、新しいスタートを切って別の場所で自分が必要とされる場所をみつけること。それが弱き人にとってのせめてもの強さだと思う。ただ、潰れてしまった場合はまずは自分の弱さを認めた上で、自分の心身が少なくとも元の状態に戻るまでは療養に専念すべし(これはもう完全に自分に言ってます笑)

そんなことを感じた2回目の劇場版鬼滅の刃でした。

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