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『パラサイト 半地下の家族』の衝撃

2019年のカンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞。本年1月から日本でも公開された韓国映画『パラサイト 半地下の家族』を観てきた。

(※以下、ストーリーのネタバレはありませんが、ぼくが一番衝撃を受けた演出について1点だけ言及しております)

ちなみに2018年のパルムドール受賞作品は邦画の『万引き家族』。どちらも国は違えど貧困にあえぐ人々を描いた作品だ。貧困問題を扱った作品が2年連続で受賞するというのも、貧富の格差が世界中の様々な国と地域で問題になってきているからだろう。

今作『パラサイト 半地下の家族』は韓国では空前の大ヒットを飛ばした。韓国国民からそれほどまで注目を浴びた背景には、韓国の富裕層と貧困層の格差の激しさを物語っている。2018年6月に韓国保健社会研究院が発表した「社会統合の実態診断及び対応策研究」報告書によると、韓国人の85.4%が「所得の格差が大きすぎる」と思っており、80.8%が「人生で成功するには、裕福な家で生まれることが重要だ」と考えていると答えている。というのも、韓国は日本以上の学歴社会であり、小学校前から子供に英語塾などに通わせられる裕福な家庭でないと、その後の学歴レースに取り残されてしまうケースが多い。さらに難関大学を出ても、国内にある約360万社のうち、大手は4千社に満たない狭き門。大手や公務員を目指し、大学をあえて留年したり、何年も就職浪人を続けたりする若者も少なくないという。

『パラサイト 半地下の家族』で登場する家族たちは、ソウル市内の老朽化がすすんだ建物の半地下に住んでいる。1960年代以降、韓国政府は住宅建築の際に地下層の設置を義務化した。それは万が一の北朝鮮との有事の際に避難場所として使うためであった。しかし、その後の高度経済成長と共に、ソウルへの人口流入が激化。それにより元々は避難所として作られていた地下層が暗黙の了解で住居として貸し出されるようになっていった。そして現在。韓国統計庁の2015年人口住宅総調査によると約82万人の貧困層がこういった半地下で暮らしているというのだ。

元々そんなに韓国に興味がないぼくとしても、日本のロスジェネ世代(ぼくの世代)にあたる88万ウォン世代(日本と同じく超就職氷河期で非正規雇用が多い世代)は知っていたが、まさか半地下というところに貧困層が80万人以上暮らしているという実態は、この映画を観るまで知らなかった。今や日本の若い女の子たちにとって、韓国のアイドルや韓国コスメといったものは憧れになっていて、SNSの名前をハングルで表記する女子高生も多い。ぼくも恥ずかしながら韓国というとそういった華やかなものしか知らず、まさかこれほどまで韓国国内の格差が広がっているとは想像もしていなかった。韓国の自殺率の高さも頷けるというものだ。もしかするとキリスト教×儒教というものに縛られているがゆえに、そういった厳しい学歴レースやその他にも韓国社会独自の息苦しさがあるのかもしれない。

さて。ネタバレ無しの物語導入を書くと、映画の家族は、父母息子娘の4人家族でこの半地下に住んでいる。夫婦ともに失業中で、子どもたちは大学受験に落ち続ける浪人生。ピザの箱を組み立てる内職でなんとか糊口をしのいでいる状態だ。そこに息子の友人で留学するソウル大生から、裕福な家の娘の家庭教師を頼まれることで、この家族の運命が動き出していく……。

ぼくはこの映画にとても衝撃を受けた。それはストーリーの面白さや貧困層のリアルな暮らしぶりを描いていたのはもちろんなのだが、なんと言っても格差というものを「におい」の違いという演出で見せていた、その一点だ。

「におい」は生活全てを表す。それこそ汚いところに住んでいれば衣服には雑菌が繁殖するので、生乾きの雑巾のような「におい」がする。また食べているものひとつとっても、それが積み重なることで自分自身では気がつかない体臭となってそのひとの身につく。

「におい」とは見えないものだが、ひとは臭覚でそれを嗅ぎ分け、自分と異質の他者を区別する。実はそれほど「におい」というものは、目に見えないものでありながら、そのひと全てを表すものとも言えるのだ。だからこそ「におい」は無自覚にひとを差別的に動かしてしまう。そうか。格差の違いは「におい」すら違うのか……。ぼくは衝撃と共になんとも言えない哀しさを胸に覚えた。

映画を見終わったあと、偶々ぼくに話しかけてきたご婦人がいた。年の頃は60代くらいだろうか。「どういう感想持ちましたか?」と。ぼくは「今の韓国の格差社会をよく表しているストーリーでしたね」と言ったあとに「それがにおいの違いで表現されていたのが衝撃的でした」と率直な感想を話した。

するとそのご婦人は「そうなのよね。においは隠せないのよ。私も日本の色々なところに行ってきたけど、ああいうひとたちのにおいってすぐわかるのよね」と何の悪びれもなくそう返してきた。

「ああ、このひとはそちら側で観てたのか!」と思った。そして、まさにその発言になんの差別意識や違和感を感じない分断こそ、この映画で問われていることなのかもしれないと思った。

劇中で、金持ちの娘の家庭教師をやっていた息子は庭で開かれている富裕層のパーティーを見て「ぼくはここに合っている?」とその子に聞いた。その子は何もわからず、無邪気に頷いていた。それはとてもとても哀しいシーンだった。

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