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『戦争論』に踊らされた、勉強不足なぼくらロスジェネ世代 〜なぜ今の中高年にネトウヨが多いのか〜

ぼくが学生の頃、阪神・淡路大震災やオウム真理教の地下鉄サリンテロがあったり、女子高生ブームで深夜番組では援交やブルセラショップに出入りしているルーズソックス履いた女子高生が性の対象として堂々と出演していた。

まだインターネットはごく一部のギークたちのもので、マスメディアの力は大きく、多くのひとが同じ共通認識を持っていた。なので社会問題に関しても入っていきやすかった。朝生で論客たちが様々な問題について喧々諤々しているのを見たり、小林よしのりのゴーマニズム宣言を読んだり。

ぼくらの世代で社会問題を気にしていた学生たちはゴー宣に物凄く影響を受けた。小林よしのり自身が関わっていった薬害エイズ問題や同和問題、オウム真理教の糾弾などの活動がマンガとしてわかりやすくギャグも交えながら描かれていたからだ。小林がオウム信者にVXガスで命を狙われたりした事も臨場感あって、熱心に読んでいた。

そんな中、出されたのが『戦争論』だった。それはとても大きな衝撃だった。

ぼくらのこれまでの学校教育では、第二次世界大戦で日本は悪の枢軸国のひとつであり、アジアを残虐に侵略し真珠湾を卑怯に奇襲した蛮族で、アメリカが原爆を2発落としてくれたおかげで悪の大日本帝国は潰えた。そして、その子孫であるぼくたちもアジアの人たちにずっと謝罪していかなければならないし、アメリカには逆らってはいけないと教わってきた。予備校の世界史の先生も、安保闘争時はバリバリの左翼でゲバルト部隊を率いてた人だった。日本の戦争犯罪を非難し、毛沢東のことを熱く語っていた。

そんな時代に出版された小林よしのりの『戦争論』の内容は、ざっくりと主張を書くとこんな感じだ。

「今までの日本が教えていた歴史は自虐史観なのだ!日本は白人たちの汚い手によって戦争を始めるしかなかった。しかし、アジアを白人たちの手から解放した唯一の有色人種なのだ。見てみよ!第二次世界大戦後、アジアは欧米列強の手から全て独立を果たした。戦争には負けたが、アジア各国で親日の国が多いのはなぜだ?白人たちに一矢報いたのがアジア人の日本だったからだ。残虐行為というなら非戦闘民を東京大空襲や広島、長崎の原爆で大虐殺したアメリカこそ非難されるべきではないか!先の戦争で日本を守るために死んでいった英霊たちに対し、その子孫がこんな風に謝ってばかりでは申し訳が立たないとは思わないのか!」

それを補う膨大な資料や、若い兵士が家族が住む日本を守るために死地に赴く際に残した手紙などが紹介され、今まで教わってきた歴史観とは真逆の主張に興奮を覚えたし、圧倒的な熱量の物語に感動した。

それからぼくはアジアで起きた戦争や虐殺を自分でも調べていった。そしたらあれだけ悪逆非道と日本兵を罵っていた世界史講師が熱く語っていた毛沢東は、自国民を推計6000万~8000万人殺していることがわかった。この数字は第二次世界大戦で奪われた命の総数(約6600万)より多い。また、カンボジアではポルポトが原始共産主義というものを掲げ、知識層を筆頭に約200万人の自国民を虐殺、国民を無知にした上で農業をやらせて国を根本から破壊した。そのおかげで現在でもカンボジアは困窮している。カンボジアの破壊されたインフラを整える為に、2014年には日本が都バス公社を発足し公共バスの運行がスタート。また日本の無償資金協力による首都プノンペンと地方を結ぶ交通・物流の要所としてトンレバサック川にかかる橋を通称「日本橋」と呼び、内戦復興の象徴にしているのだ。

近現代でアジア人が戦争で殺されたと聞くと、それまでのぼくを含めた多くの日本人は日本のせいだと思っていた。しかし、本当は日本人ではない大虐殺者たちがいたのだ。そしてそういった国々に日本は実は多大な支援をしていた。なんという洗脳を受けていたのか。ぼくら日本人はもっと自分たちを誇ってもいいのだ。ぼく自身そう誇らしく思った。

しかし『戦争論』はそういった日本人であることの誇りを取り戻すことと同時に、著作の中で露悪的に描かれていた中国人や韓国人に対しての反感を持たせるものでもあった。特にずっと謝罪を求めてくる韓国に対しては、『戦争論』のあとに別の著者の『嫌韓流』という韓国人に対するヘイト本が流行ったことで韓国人嫌いが増大していった。

ぼくは『戦争論』を読んでから、IWGPで大ファンになった窪塚洋介が在日韓国人役を演じた映画『GO』を観て、逆に「同じ人間なのに、どうして日本人と在日韓国人がいがみ合うのか?国とはなんなんだろう?そもそも民族ってなんなんだろう?」と思うようになり、独自に各国の歴史や社会学を勉強していった。

そして「国」という概念を一般庶民が持つようになったのは近代になってからで、それまでは戦争が起きれば庶民たちは戦地から逃げ出し、別の王が勝てば、その王が新しい領主になるだけだったと知った。日本でも庶民が自分たちのことをはっきりと「日本人」と思うようになったのは明治時代以降なのだと。それまでは同じ日本列島に住んでいても、同じ日本人なんて感覚はなかったようだ。これが世紀の発明「ナショナリズム」という魔法で、「自分たちが◯◯という国の国民だ」とみながその「物語」を信じ込むことで国力が一気に跳ね上がり、団結力が高まった。現在、スポーツなどでも全く知り合いでもなんでもない日本選手を日本の代表ということで熱心にぼくらが応援できるのもこのナショナリズムという魔法のおかげだ。そしてそうやって国民全員が戦う総力戦というものが、史上初めて第一次世界大戦で行われた。その結果はこれまでにない悲惨な戦争となった。

子供の頃から日本史とかって一気に習っていたから、そんなことすら疑問も抱かなかったが、一部の特権階級以外、「我らは日本人」なんて思わずせいぜい「何々村の太郎」くらいのイメージでずっといたのだ。だから「ナショナリズムで作られた国の歴史」と「土着的な文化や伝統」は分けて考えなくてはならない。

だから国の歴史というのはそれぞれの国ごとにある。日本で教えている歴史が100%正しく、韓国で教えている歴史が間違っているなんてことはなく、ただその国ごとの「物語」があるだけだ。そして同じ国の歴史でも、研究者の立場や視点の違いから対立が生じたりする。

そうやって作られた歴史とは別に、その地に長く続いてきた伝統や文化というのもまた異なったものだ。だから韓国を日本が併合した際に日本人がやってきて、創氏改名をしたのは普通に嫌に決まっているだろう。

だって、たとえばぼくが道重村の高橋ねりなで通っていたのが、「今日からお前の名前はジョンスミスな」と言われ、さらに道重さゆみ神を信じていたのに、「今日から神はレディガガ神な!それ以外信じるなよ」と言われたらぼくなら全く納得できない。

その辺は韓国人から反発があって当然だろう。自ら受け入れた説もあるが、ぼくはそれに対して懐疑的な立場だ。

たしかに日本は戦争の悲惨な思い出から、自虐的な歴史観だったと思う。それはそれで問題なのだ。

あなたは広島の原爆ドームや資料館のある平和記念公園に行ったことがあるだろうか。行った事ないひとはコロナ禍が終わったら是非そこに足を運んで原爆死没者慰霊碑の碑文を直接読んでみて欲しい。

「過ちは繰返しませぬから」

とそこには書かれている。この碑文、なにがないって主語がないのだ。誰が何の過ちを繰り返さないのか。それがとても曖昧にされている。原爆を落としたのはアメリカだ。これは厳然たる事実。日本が戦争を始めたから彼らは原爆によって悲惨に殺されたわけではない。非戦闘民を無残に虐殺したのはあくまでアメリカ。でも主語を曖昧にしてそれを誤魔化している。なんなら自分たちの戦争のせいでという風にも取れる。戦争した事と原爆で一般市民が虐殺された事は別問題だ。アメリカに何も言えないのはただ戦争に負けたからだ。でもだからって原爆で自国民が亡くなった事すら自分たちのせいにするのは自虐もいいところだろう。単純にこれに関しては被害者なのだ。

それと同時に『戦争論』で描かれていた美談も、一般兵のほとんどは敵と戦う前に餓死で約140万人も死んでいった事も知った。これは敵に殺されたわけではなく、軍上層部の無策によって殺されたのだ。それを「国を守った英霊として讃えよ」というのは、死者を逆に侮辱してないか。また、そんな極限状態にあった兵士たちが現地の村を襲ったりすることも当然あっただろう。戦争とは美談や英雄譚だけでは語れない地獄が広がっている。それを無視してはいけない。

また、個人的な話をすると上海人の慶應院留学生の子と付き合っていた時のこと。日本と中国で習う歴史の違いを語り合った事があった。中国の歴史では、日本が戦争に負けて満州から逃げていく時に、数多くの日本人が逃げる時に足手まといの子供たちを捨てていった。それを現地の中国人が育ててくれた。そういった数少なくない在中日本人が存在する。実際、彼女にも在中日本人の二世の友人がいると言っていた。

今の日本の歴史の教科書ではこれらは書かれているのだろうか。少なくともぼくはその子から話を聞くまで全く知らなかった。在中日本人は中国と日本の国籍を選ぶことができる。彼らのルーツは日本なのか育ててもらった中国なのか。やはりアイデンティティに悩むそうだ。

在日韓国人に「祖国に帰れ」とヘイトスピーチするネトウヨのひとたちは、在中日本人のことを知っているか。彼らが在日韓国人にそんな事を言うのなら、在中日本人を日本に呼んで世話してあげられるのだろうか。そもそも在中日本人も二世、三世となると育った中国に郷土愛を感じている。在日韓国人二世、三世も同じではないか。

でも在日韓国人を差別する人たちから、在中日本人を同胞として迎え入れようなんて声は聞いたことがない。所詮、単に存在が気に入らず、日本人であることに優越感を持ちたいというただ差別したいだけの人たちなのだ。

この人たちの多くは『戦争論』から始まり『嫌韓流』を読んで日本人である事に優越感を持った。そして時は就職氷河期。大卒でも正社員になれない人が多かった。そして最近では優秀な中国人や韓国人に仕事を取られている。そんな彼らが唯一すがれる事、それは「自分はすごい歴史と伝統を持った日本人である」ということだけだ。それでヘイトスピーチを繰り返す、ある意味悲しきモンスターなのだ。

ぼくは日本人としての誇りや郷土愛は持つが、『戦争論』の美談とは決別した。そして今日本は老人だらけの時代遅れの衰退国であると認識している。

自分で調べたり勉強しないひとにとっては、たまたま読んだ本や見た動画に衝撃を受け、その世界観に囚われて色々なことを見誤る。その思想にすがる。それは自分の視野を狭め、世界への認知を歪めてしまう。だからこそ、教養を身につけるために日々本を読んで勉強していくべきだ。

さて。偉そうに語ってきたが、ぼく自身もまだまだどんな物事に対しても未熟で無知だ。でも最初は無知で当たり前なのだから、知らないことを恐れず、何歳になっても本を読み勉強していく気持ちを忘れないでいよう!

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