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過去、織作亜樹良という名義でサイゾーでアニメコラムを書いてた真意について[後編]

同タイトルの[前編]の方で、オフィシャルの取材やインタビュー記事ではなく、サイゾーというイエローメディアでなぜ別名義で書いたのか、その信念を詳細に説明した。そのうえでそれぞれの記事に対してどういった問題提起があったのか、解説していった。今回はその後編にあたる。ぜひ前編と合わせて読んでもらいたい。

第四稿:“おまけ”スタートから15年――拝金主義に傾倒する企業ブースはコミケに必要なのか

これは、ぼくがコミケにサークル参加してから常々感じていたことだった。

コミケに参加しているサークルの殆どが島サークルの人たちで、トントンか赤字である。それでも、みんな自分が作りたいもの、表現したいものをクリエイトして頒布しあっているアマチュアの一大マーケットがコミケなのである。ぼくはコミケで、人間にとって「作る」ということの楽しみや、仲間と協力してひとつのものを作り上げていく喜びを教えてもらった。成功すればたしかに壁サークルなどになってそれで生活していくこともできるだろう。でも、それがメインの目的ではない。利益の追求だけではここまで大きな市場とならなかっただろう。ひとの何かを生み出したいという欲求こそが、これだけ大きなイベントを創り上げたのだ。

コミケの基本理念も、売り手と買い手がお互い同じイベント参加者としてフラットな立場で売買を行うというものである。これ意外と知られていないというか、ほとんどのメディアがPVが稼げるコスプレイヤーの写真や、企業ブースでの声優のイベントの模様、有名人の参加などばかりしか報じないから、一般参加で知っているひともわずかだろう。そういった記事を読んでやってくるひとはお客様気分で来てしまうから、みんなで作り上げるという意識もない。本質から大きくズレてしまっている。このことは京都アニメーションが制作した大ヒットアニメ『らき☆すた』の主人公・泉こなたも力説している(第12話)。

そして今回のコラムで一番の問題提起は、そんなコミケにおいて、なぜ企業ブースなんてものが大きな顔をしているのか?ということについてである。企業とは突き詰めれば、利益を追求していく団体のこと。アマチュアの買い手も売り手もひとしく参加者で「作る」という行為を盛り上げていくイベントにおいて、そもそもそんなものが存在すること自体がおかしいのだ。

詳しくは記事自体を読んでもらいたいが、企業ブースの設置の歴史は1996年の冬コミからと浅い。最初は、あくまで使われなかったスペースに企業を呼び込んだ「おまけ」として細々と置かれた。しかし、それから十数年経ってみると、まるで企業ブースがコミケの主役のような扱いをされるようになった。「なのは完売」とか、一時期コミケの売り切れの凄さを揶揄するネットスラングが流行ったが、なのはの商品を扱っていたのは当然ながら企業である。

コミケ限定商品と称してイベント参加者の射幸心を煽ることで、どれくらいで完売したのか、どれくらいの列ができたのか、そういったことが企業名と共に話題に上がる。そういった限定物は始発組の一般参加者でも中々手に入れることができないため、トラブルの元となる徹夜組を生み出す一因にもなっている。行列で会場内が圧迫もされるし、整備のため、ボランティアのスタッフの多くが駆り出されているのが現状だ。

上記の記事でも書いたが、コミケにおいても転売屋だけを悪とする風潮にぼくは与しない。企業が当日限定商品と射幸心を煽り、どれだけの時間で完売したかとか、そういう話題性を作りたいがためにわざと数を絞ったり、通販を行わないということをしていたりするからだ。遠方に住んでいるひとにとっては、買えるかどうかもわからない限定品の為に交通費や宿泊費を出してまで東京ビッグサイトまで来るだろうか?それよりは、転売価格で買った方が安く済むし確実に手に入る。極めて合理的だ。企業の悪どさから比べたら、転売屋なんて実にかわいいものである。しかし、企業の悪どいやり方に目がいかないように巧妙にそうやって転売屋へ目をそらさせているのだ。

またおかしいのは、普段は二次創作やMADを厳しく取り締まっている企業ですら、企業ブースでコミケに参加していること。権利者として毅然とした態度を取るのであれば、著作権無視の二次創作があふれているコミケに参加するのはおかしな話ではないか。結局のところ、何十万人ものアニメファンが集まるイベントで出展すれば儲かるし、行列ができれば話題にもなる。ただのダブルスタンダードだ。そして今や企業ブースがコミケの顔としてメディアで取り上げられる。このまま企業ブースがコミケの顔に完全になってしまえば、それは単に企業限定商品販売場になってしまう。これは大変な問題である。

コミケほどのアマチュアの自主市は、世界でも日本くらいにしか存在しない。その文化を絶やしてはならない。あくまでコミケの主役は多くの名もなきサークル参加と一般参加なのだ。

企業のことを悪しざまに書いてきたが、コミケで二次創作の同人誌を売っていることを知りつつも、この業界がさらに盛り上がるようにとアマチュアたちを応援している企業も少なからず存在しているのも事実である。企業ブースの在り方だけでなく、コミケの本当の主役であるサークル参加者と一般参加者を大手媒体にはもっと取り上げて欲しかった。

この問題提起をしたのが2014年だが、結局、そういった地道な取材を行う媒体はその後もあまり現れなかった。有名人が参入すると、ニュースとして取り上げるだけ。有名なコスプレイヤーの写真を掲載したり、声優の企業ブースでの写真などの記事も変わらない。

コミケはアマチュアの作品が並ぶ世界一のマーケットとしてもっと喧伝してもいいと思う。石ころだけをひたすら研究しているサークルとか、謎の年表を作っているところとか変人奇人の巣窟なのだ。そんなありきたりのイベント前として終わらせないで欲しい。

今年は新型コロナウイルスの影響で行われないが、とても重要な日本の文化である。吉本興業やAKBなどにクールジャパン費として大金を使うより、こういった日本にしかない独自の文化こそ世界に発信すべきではないか。

第六稿:『月刊少女野崎くん』のヒロイン・佐倉千代はなぜこんなにも愛されるのか?

このコラムに関しては特に問題提起とかはない。実は何個かあまりにも尖りすぎて編集者に没にされてしまった記事があったのだ笑。なので、ここでは『月刊少女野崎くん』のヒロイン・佐倉千代ちゃんがなぜここまで愛されるのか?というのを、ぼくなりに分析したコラムである。実はこれ以降、担当の編集者が変わってしまい、ぼくのやりたいこととそぐわない形になってしまったので、これがサイゾーさんで掲載されているコラムのラストとなる。なんともふんわりした感じで終えてしまった感は否めない笑

記事を読んでもらうとわかるが、佐倉千代ちゃんは小柄でキュートな外見だけでなく、的確なツッコミを入れたかと思えば自らボケていたりと、とにかく見ていてかわいらしいのだ。しかし、そんな完全無欠のかわいい子がかわいらしいことをしていると、時として「あざとい」と映ってしまう。女性視聴者からはもちろん、男性視聴者からもあまり好かれないキャラクターに普通はなってしまう。そこを嫌われない絶妙なバランスで保っているのが、佐倉千代ちゃんというキャラクターなのだ。では、どうやってそのバランスを取っているか。結論を言うと、単にファッションがダサいのだ笑。

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ファッションとは何か?それは現代の鎧といえる。これがめっちゃハイブランドで身を包んでいるような女の子だったら親近感を感じることはないだろう。完全無欠でかわいい女の子が、でもファッションがダサいというところに隙きが生まれ、愛されやすくなる。

現在放映中の『とある科学の超電磁砲』のヒロイン・御坂美琴ちゃんも長らくアニメヒロインの中ではトップランクで人気のキャラクターとして君臨している。上海のビリビリ動画のビリビリの元ネタがこの御坂美琴ちゃんのあだ名(ビリビリ)からきているくらい、海外での人気も高い。そんな彼女は成績優秀、外見もかわいく、能力も最高値レベル5。完全無欠なのだが、同じくファッションが意図的にダサく描かれている。今どき誰も履いてないルーズソックスを履いていたり、寝間着から私服までキャラ物のダサいものが好きだったりと、ウィークポイントというか隙きが生まれ、愛されキャラになっているのだ。まあ、ルーズソックスはぼくらおじさんからしたら大好物だから笑、そういったニーズもあるのかもしれない。今のJKの短いソックスに生足どーんは芋っぽくてどうにも好きになれない。そもそも日本人の足の形はそんなに美しくないので、何かで隠した方がきれいに見えるのだ。もしかしたら、JKをそういう対象にさせない為の教育機関での方針なのかもしれないけれど。。

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最後は単なる個人的な嗜好を語ってしまっただけになったが笑、サイゾーさんでは常に信念を持って問題提起を行っていた。没になった尖りすぎていた原稿があると言ったが、次回、それを公開しようと思う。

ただ、ちょっと尖りすぎているのと、6年前と今とでは状況も変わっているので大幅に加筆した上で有料で公開いたします。でわっ!

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