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コロナ脳とか放射脳とか日本語の単純化やめましょ

自分と考え方や意見が違う相手なんてのは世の中にたくさんいて当たり前なんだけれども、SNSではそういった思想・考え方・意見が違うひと同士がぶつかりあった時に、いかにすばやく相手の意見をねじ伏せバカにできるかという技術が向上した。

この「○○脳」なんて言葉は最たるもので、これを言っておけばたった数文字で相手がまるでそれひとつを盲信しているバカのように仕立て上げることができる。しかし、こんなのは日本語の劣化、というか思考停止だとぼくは思う。だって自分と意見が違う相手がいるのが当たり前の世の中なのに、自分が気に食わない意見や思想を持っている相手を○○脳とレッテル貼りして気分すっきりしているようでは、まったく社会にとっての進歩にならない。

これまで人類は、互いに対立するかに見える二つの意見に対して、多くの議論を重ね、時には血を流し合い、どちらかを完全に否定したりするのではなく、両者の意見を統合し、よりよい社会へと高みに向かってきた。いわゆる弁証法的発展というやつだ。しかし、対立する意見に短いレッテル貼りをして気持ちよくなって終わっていては、社会は前に進むことはできない。意見の同じ者同士がどんどんと細かくムラ化していって、同じ国に住み同じ言葉を喋っているのに、まったく話が噛み合わなくなっていってしまうだろう。というかすでにその予兆はある。

たとえば放射脳。これは原発は危険だから止めましょうというひとに対して使われる言葉。しかし、当たり前だが、この3文字に詰め込めるほど簡単なものではない。

原発は危険→だけれども火力発電ばかりに頼っていては大気汚染・外国から石油・ガスなどを買わなければいけない→衰退国である日本にとってこのままでは致命的→さてどうしたものか?

という様々な問題を考えつつも、それでも原発は止めるべき派、いや、段階的に止めるべき派、ほかにも違うエネルギーを利用すべき派など、単に原発反対派といっても様々な考え方がある。当然、賛成派にとっても様々な意見がある。そもそも原子力というテクノロジーをこれからも使っていかないと、原子力の専門家になろうという優秀な人材が集まらなくなる。そうなると原発反対するにしても、どうやってこれまでの負の遺産を処理していくのか。高度な技術者がいないとそれすらできなくなる。つまり、上記に挙げたように弁証法的に原発についても反対派、賛成派の意見、両者の議論を多く重ねた上でこれからのことを考えていかなければならない。単純化して相手をただバカにするような態度は実に嘆かわしいことだ。

コロナ脳についても同じようなことが言える。そもそも新型コロナウイルスについてはまだ未知なる部分が多いにも関わらず、まったく専門外のひとがあたかも専門書みたいなものを書いていたり、テレビでコメンテーターをしていたりする。世界の最先端の医療技術者が新型コロナウイルスは今のところ、飛沫感染が高いから自分が感染していた場合、自分の体液の飛沫を飛ばさないようにしましょうということでマスクの着用を促している。重要なのは外のウイルスからの防御ではなく、自分がウイルス保持者の場合、拡散することを防ぐのが一番の目的なのだ。最先端の医療チームですらその程度のことしか言えない。

新型コロナは単なる風邪論のひとも多いけど、その人たちはどこから信頼度の高いエビデンスを持ってきているのだろうか。現に完全に封じ込め政策を取った中国・香港・韓国・台湾・シンガポール・オーストラリア・ニュージーランドなどは死者数も少なければ、経済の打撃もほぼない。対して大統領が「コロナなんて単なる風邪だ」と言っていたアメリカやブラジルなどでは死者が何十万人も出ているし、経済も大打撃を受けているではないか。

基本的に医療などに関しては、WHOなどの公的な機関が発表している情報を信じるべきだし、病気になって医者にかかる時も標準医療に準拠すべきだとぼくは考えている。ジョブズはがんに罹った際、標準医療を蹴って高額の代替療養やスピリチュアルを信奉したが、死期が大幅に早まっただけだった。大金持ちですらいくら金をかけても失敗するのだから、我々庶民はWHOの発表通りの行動や、標準医療に従うのが一番だろう。実際、新型コロナ対策でもWHOの通りに従った上記の国々が死者も経済も回っているのだから、その通りなのだと思う。

が、これもひとの意見はバラバラにあるということを留意しておかなければならない。特に何よりも個人の自由を尊重する欧州やアメリカなどでは、個人の意見を捻じ曲げてまでマスクの着用や手洗いを徹底させるというのは難しいだろう。となるとこれまた完全封じ込めとコロナは風邪という相反する議論をまとめて新しいグローバルスタンダードを考えていかないと、世界が立ち行かなくなる。アジアとオセアニアだけで経済回しても、ほかが駄目では結局のところ潰れてしまう。何年後になるかわからないが、これも矛盾する意見を議論し合いながら肯定していかなければならない。その妨げとなる、言葉の単純化はまずは止めましょうとぼくは言いたい。

ひととひととはわかりあえない。それは大前提。だからこそ唯一の意思疎通である言葉を多く重ねることで、両者が許容できる範囲に持っていく。言語の単純化は相手を理解する気持ちも薄れてしまうし、何より進歩することを諦めたバカになってしまう。

※公開してから付け足すが、別に相手をバカにする言葉ではないが、短い単純化された言葉として、ぼくは「エモい」も嫌いな単語だ。素敵な感情を表現する言葉が日本語にはたくさんあるのに、エモいだけじゃ広範囲すぎるし、個人によって定義しているものが違うから、まったく(そのひとが持っている)エモい感情が伝わらん。エモいエモい言うのクソうぜー笑

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