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タコピーの原罪を読んで。いつから子供たちはひみつ道具に喜ばなくなったのか(ネタバレなし)

今話題の『タコピーの原罪』という漫画がある。

ハッピー星人のタコピーが、いじめられっ子の久世しずかを幸せにするためにハッピー星に伝わる様々なハッピー道具で助けるというストーリーだ。ストーリー初っ端でタコピーは空を飛べるアイテムをしずかに見せる。これはドラえもんのひみつ道具でいうところのタケコプターに当たるだろう。ドラえもんからタケコプターを渡されたのび太はそれだけで大喜びだった。しかし、久世しずかの対応はそっけないのである。

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「空を飛べたって、どうせ何も変わらないし」

子供らしい好奇心はどこにもない。本当は空を飛べたら色々なことができるはずだが、もうそういったことすら考えるのを放棄している。どうして久世しずかはここまで諦観しているのだろうか。

現代社会を風刺する漫画、アニメ、映画というものはいつの時代でも一定数あって、そこでは大体悲観的なことが描かれていることが多い。

しかし日本社会は昔よりはるかに豊かになった。マスコミはなにか事件が起きると大袈裟に報道して視聴率稼ぎに走るが、実際には公衆衛生はもちろん、治安も格段によくなっている。年々、凶悪犯罪が減っているのは統計からもわかる。

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映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を見て、昭和の頃は人々に人情味があったと錯覚するひとも多い。当時を生きていたひとも思い出を美化しているのでそう思い込んでいる。しかし、実際の昭和は貧困状態の世帯が今とは比較にならないほど多く、殺伐としていて犯罪率も高かった。いじめも腐るほどあった。平成初期、ぼくが中学生の頃もたくさんいじめはあった。

しかし、当時の漫画はドラえもんにしてもタルるートくんにしてもひみつ道具は弱い子の味方だった。漫画を読んでいる間だけでも残酷な現実から逃避することができた。そこから漫画家になろうと志す子どももとても多かった。しかし、今はタコピー星人が出す空飛ぶハッピー道具で弱い子の力にはなれないのである。

ぼくは大学生になるまで、みな小学校では同和教育をしてきているのかと思っていた。しかし、大学になってクラスメイトから聞いたらほとんどそんな教育がされていないことを知った。

当時、小林よしのりの差別論なども読み、改めて小学生の頃、住んでいた地域を調べた。ぼくは幼稚園から小学校に上がる時に建て売りの新興住宅地に引っ越した。高台にあって、その下にはどぶ川が流れていた。工場排水がそのまま垂れ流され赤い色をした川だった。その上流に水捌けの悪い土地なのに平屋がズラリと並んでいる地域があった。子供の頃はそこに住んでいる子の家に上がって、ファミコンを一緒にやったりしていたが、なにも違和感を感じなかった。

その土地があとから調べたら同和地区だったのだ。道徳の時間で部落差別のことをよく学んでいたが、そんなことあるのかと思っていたくらいで、それはどこかの地域にあるのだろう。それよりも目の前のいじめをどうにかしてくれと思っていた。

しかしながら、現在。

今ならスマホひとつでその土地がどんな土地なのか簡単にわかる。子供が調べなくても親が調べられる。生活保護受給も、給食費未納も、自分の家がどれくらいの水準なのか、すべて一瞬でわかってしまう。SNSで身近なよそのうちと自分のうちを簡単に比べることもできてしまう。

ぼくの時代では、小中学生がエッチな画像見るのは雑木林に捨てられているエロ本を拾ってくるか、年上の兄弟がいる家で見せてもらうくらいで、ちょっとしたヌード画像を見るだけでもとてもハードルが高かった。しかし、今だといくら制限したところで、簡単にエッチな画像を見ることができて、第二次性徴期男子のリビドーを発散するのになんの手間ひまもかからないだろう。

ただ、だからといってそういった便利な道具が、果たして貧困を、差別を、いじめを、異性の獲得をよくしただろうか。逆にむしろ他人よりも劣っていることを自覚してしまうだけになったのではないだろうか(本当は劣っていなくてもそう思い込んでしまってはいないだろうか)。

つまり、今の子どもたちは便利な道具だけでは幸せにならないことを生まれた時から肌感覚でわかっているのだ。それどころか、変に浮いたことをしたら、ひとりだけSNSで除け者にされ、簡単にいじめの標的として共有されてしまう。

便利な道具は幸せを与えてくれない。だから令和のドラえもんであるタコピーの出すハッピー道具にもしずかはなにも期待していないのだ。

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