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82年生まれキム・ジヨン

みてきた。

端的に言うと、よかった。
こういった映画を制作して、映画館で上映して、かつ海を渡って日本で配給できるように頑張った映画製作に携わった人々に拍手の気持ちである。

星は★★★★!かな!

話は聞いてたけど、そう、ジェンダー、フェミニズムの話だった。だけど同時によくみたことある韓国のーいや、日本でも近くにあってもおかしくないー女性の話だった。女性として生まれて、女性が抱える恐怖や不平等さや理不尽さ、辛さ苦しみ構造的問題、根が深い問題色々諸々ひとつまとめてみるわけではあって、ちょっと説教臭くならないように?するのが難しかったと思うけど、単純にストーリーを追うものとしても面白かったと思う。一人の女性の、家族の物語だった。

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全世界問わず(たぶん)女性が悩んでいるであろうという部分もあったけれど、韓国ならではの部分もあったと思う。特に家族関係のところとか、東アジア圏で文化としては遠くない日本でも、多分なんとなく近い部分はあれどわからないであろうお正月、秋夕のときの風景とか。息子贔屓も日本もあるだろうけど、そのレベル感の違いとか?

あと、韓国では一時期大きく社会問題になっていた「ママ虫」(映画でそのまま翻訳してたのでそれをそのまま持ってきた)の話や、盗撮と盗撮映像が一般流出されて問題になったn番部屋事件とかなんかそういう韓国の社会問題、事件、ニュースなどがあっての内容とかもあった。

なんで、見る人によっては「あんなんまではないだろう」「日本はここまでじゃないんだけどな」って思ってしまう人もいるのではないかとおもった。けど、実はそんなことないんじゃないかな。気づいていないだけで周りに実は全然あるし、自分にもあるし、掘り出されて問題視されていないだけで実は潜んでいる問題があるだけなのではないかと思う。そしてそのほうが実はずっと怖いことかもしれない。

なんならより苦しい、希望もない中の人もいるだろうときっとおもう。

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いやーでもまあ女性がみたら本当に共感する部分は多い映画だったんじゃないかな。別に誰ひとり個人や特定の組織とかそういう悪い人が決まっているんじゃなくて歴史と文化と様々なものが積み重なって今になっていることをただただ描いているとおもった。そして良くないこと、不当なこと、あってほしくないことをこうやって作品でもなんでも表現していくことで変わることもあるのだろう。とおもった。

一緒に見に行った友人は小説原作(日本語訳)より映画のほうが良かったと言っていた。小説のほうがむしろ共感や感情移入が比較的しにくかったそう。それは、原作読んでないからわからないけど翻訳にも課題があったのかもしれない。実際上でも書いたように韓国ならではの部分もいくつか感じれたから。

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映画の中でも、翻訳が惜しいなーーーって部分がいくつかあった。5%くらいのニュアンスが伝わっていなくて、その5%でまたちょっとかなり違ってくるんだよなーみたいな。たった日本語と韓国語が喋れる程度で偉そうにするのは申し訳ないけど、やはり翻訳というのは解釈が入るのと、時間的限界などがあるからもとの言語で楽しめるのが一番だと思ってしまう。

そして最後のエンドロールだけど、この映画、すごく人を大切にしている映画だと感じた。本当細かくスタッフを役割分けて名前をならべていたし、マネージャーまでこんな載る映画って…え、韓国映画ってそうなんだっけ?私は初めて見た気がした。それも含めてなんだか感動した部分もあった〜

あ、最後にポスターの打ち出し文句が、日本語版「大丈夫、あなたは一人じゃない」だけど…これは…どうだろう。
どちらかというと「わたしは一人だよ。あなたもそうだよね。」といっている映画だと思うんだけど、どうだろうか。まあ、それも一人じゃないと広く見ると一緒なのかな…?
韓国の本来の打ち出し文句は翻訳すると「みんな知っているけど、誰も知らない、あなたとわたしの物語」だけど、これでしょう。なんでこのまま翻訳しなかったんだろうと思ってしまう。別に、元気づける映画ではないと思う。みて元気だそう、っておもう人ももしかしたらいるのかもしれないけど、それは主な部分ではないし元気出させるための作品ではなく、ある種の告発的な作品では?と思う。

大事なのは「知っている」ってことそれなのにあえて「告発」しているという矛盾というかなんというか。「知っている」けど「気づいていない」のだろうなと思う。それこそが一番怖いことだ。

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吹替版はコン・ユの声を諏訪部さんがされたということで、ストリーミングでいつか配信されたら吹替版もちょっとみてみようかなっては思っている笑

まあ興味ある人はぜひみましょうー

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