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『君の膵臓をたべたい』

住野よる著『君の膵臓をたべたい』(双葉、2017)

久しぶりに何度読み返したか分からない、この本を引っ張り出してきた。


当時は「流行ってるから読まない」
今なら「あー流行ったよね」て。
友人におすすめしたけど、返ってくる言葉は大体こんな感じ。

そういう気持ちが超分かるから、それ言われると何も言えんくなる(´・ω・`)
だが、私は流行っているのを知らなかった!!!!(どこ見て歩いてんだかな?)
タイトルが読めなくて、本屋で調べた思い出…ついでに英単語も覚えた。
色んな「なんで?」が脳内で飛び交ったから、読んでみたいと思って買った。

この本が強く記憶に残る理由は本を読んで泣いたのが、
この時が初めてだったからだ(これ以降ない)
「マジ泣ける!!」とは言っても、実際に泣いてはいない。

2017年の当時、私は「生きる」ということが
今よりもっと分からなかった。
孤独の意味を今より考えずに、人は孤独なんだと決め込んでいた。
人が本当に分かりあうことなんて出来ないのに、
人はなぜ集まろうとするんだ?って本気で思ってた。
だから仲良い友人の家に頻繁に泊まりに行っても、その先で遊びや食事に
誘われても99%断ってた(=人と分かり合おうとしない)
そういうわけで友人宅にいるのに、1人でゲームしたり本を読んでた。
そのわりに友人宅にいるっていう大きな矛盾。

そんな私だったから、この超内向的な【仲良し】くん(主人公の男の子)に
めちゃくちゃ共感しながら読むわけです。
本を開いて序盤から、【仲良し】くんが自分にそっくりで、ぐいぐい引き込まれた。

余命を宣告されている、同じクラスの女の子。
その子の日記を偶然病院で手に取ってしまった【仲良し】くん。
人と関わるなんてないだろうと思っていた彼。
その女の子の秘密を知ってから、彼女が生きている間にやりたいことを
一緒に体験するようになる。

この人との関わりが、彼を変えていく。
そして「生きる」ということが、彼にとって変わっていく。

人との関わりが、こんなにも人を変えるのかと思って感動したのは友人宅。
その友人に変えられている自分を発見した。

今は2023年、初見から約6年経った。
驚くことに「生きる」ってなんだと思う?って相談をされる。
生きる意味まで問われる。
やっぱり上手く答えられない。

やっぱり人は結局孤独なんだよ。
「生きる」ことこそが大変だよ、それが素晴らしいことであってもね。
分かり合おうとして争いが起きるくらいなら、1人で良いじゃん。

こう思ってしまう自分が今もいるには、いる。
皮肉っていて、面倒臭い。
だけど思いもよらぬ学生生活の中のたった一言で、
これこそが自分の問題なんだと一瞬で蹴散らされた。

「違うよ、自己完結の国から来た自己完結王子なんだ。敬ってよ」

住野よる著『君の膵臓をたべたい』(双葉、2017)、207頁。

自分のようだと笑っていた言葉が、ネガティブな意味で突き刺さった。


さすがに「生きる」ことについて、6年前より深く考えている。
その意味についても、痛感した。
運命でも偶然でもない。
常に選択する意志の連続の延長なんだ。

流行ったからねーと、遠ざけるのも意志だと思う。

んー、久しぶりに読んだら、より哲学的に読むようになったかもしれん。
住野よる先生の本を、持っているだけ読み漁りたくなった。
(先月も読んでるけど)

本の記事ばかりなのはなぁ…って思って色々手を出したのに、
結果それら試みは本についての記事を書くところに戻ってきた。
これも自分で選択した意志の連続のなすわざなんだろうか。





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