見出し画像

「いつまでもつだろうか。」―『劇場』


映画『劇場』を見た。以下、ネタバレありの感想。


・自分で自分の機嫌を取れない男。苛立ちや不安、言葉にならないもやもやを一人で処理しきれなくて、人や物にぶつける。例えば小包を送ってくれた紗希の母親の言葉に理不尽な言いがかりをつけたことや紗希が友達から譲り受けたバイクを破壊したこと。未熟で幼稚に思えるが、見方を変えればうまく生きていくことのできない不器用さになり愛しさの対象にもなる不思議。


・「いつまでもつだろうか。」作中で永田が何度も発する言葉。これは夢を追いかけている人だけが言うことのできる、その意味で苦しさだけではない輝きを持った言葉だと感じた。そもそもやりたいことをやっている人でないと、「いつになったらできるだろうか。」になりそう。その点で、終始苦しそうにしていたが永田は幸せな男だ。

彼は良い意味でも悪い意味でも自分のことにだけ焦点を当てている。

「いつまでもつだろうか。」これは”自分が”いつまで自分の才能に不安を感じずに今やっていることを続けていけるか、ということでそこには「いつになったら他者から評価されるのだろうか。」とか、(もちろんこれも自分の才能を信じるための一要素にはなるのだろうが)紗希のように社会の”標準”に当てはめた時に「いつ夢を諦めるべきだろうか。」とか、そういった外部からの判断基準が重きを持たない。この自分のことだけを見続ける能力は表現者としての重要な才能の一つなのかもしれない。


・夜の街で二人乗りするシーン。店長の家に迎えに来られ、しぶしぶ自転車の後部座席に座る紗希の手は、荷台を掴んでいる。これが永田の言葉を聞くうちに彼の背中に置かれるようになる。永田への心理的な距離の縮まりが、言葉以外の見せ方で示される素敵な演出だった。


・ラストシーンの解釈。部屋の壁が倒れ、舞台装置だったことが明らかになる瞬間は驚いた。永田が紗希の部屋を片付けに行ったのが夕方。そこから場面が切り替わって夜になったところからが永田の作った舞台の中で、現実世界では二人が別れて時間が経った後に紗希が永田の舞台を見に来ていて暗転する直前、彼が紗希がいることに気づいたってことかな。(原作を読んでいないので憶測ですが。)

そうだとしたら、舞台中の「会いたい人に会いに行く。こんなに簡単なことがなんでできなかったんだろうな。」という台詞は作中でも描かれていた”永田が夜に紗希の家に行けなくなった”状況とともに、描かれなかった”紗希が実家に帰ったあと”の状況も指していたのかもしれない。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?