Hacker's mindへの対抗手段としての美

ズル賢く、ルールの抜け穴を見つける生き方、効率よく成功を掴むライフパスの設計、コスパ思考が若者の間で蔓延している。

このような考え方は「コスパ思考」と名づけることができる。あるいはハッカー精神、hacker's mindと言っても良いような気がする。若者は優れたハッキング法を見つけることを喜びだとすら感じている。だからそれは単なるケチなコスパ思考ではない。スタートアップをドンと当てた起業家、その周りの投資家、SNSでバズりソーシャルメディア・ドリームを掴んだインフルエンサーに対して若者たちが向けるのは崇拝の視線ですらある。(7/2追記、一攫千金というものを頭ごなしに否定したいわけではない。しかし、「どうやったら楽に手早く稼げるか」ということを考える人の割合が増えたと思う)

しかしながら、アートやファッションといった審美の領域ではコスパ思考は通用しない。ハイブランドのデザインを安く早くコピーして販売するZara、H&M、SHEIN等はファッション好きからは常に批判されてきた。効率よく格好良い服を作ってもそれを買うのを拒む人たちがいる。強い言葉を使えば、そういったプロダクトを「穢れ」として頑なに拒む層というのは一定数いる。

このある種の潔癖精神が、審美を守る最後の砦になっているように僕は感じる。

人間の匂い、情の匂いがしないものに対する潔癖。
効率や狡猾さに対する拒否。

多くの人が偽物・コピー品を嫌がるのは、そういう感情をみんなが持っているからだ。それでもSHEINやZARAが売れてしまうのは、「お金がないけど高級なクリエーションを身につけたい」という人々の現実的なバランシングの問題に対する答えになっている。SHEINを着ている人は、おそらく「それxxのコピーだよ」と言われるのが嫌だろう。なぜなら彼らがSHEINのアイテムに払った金額の対価に求めているのは、本物のラグジュアリーがもつステータスだから。

身につけるものとしての洋服に、なんだかんだ現代の僕たちが「ちゃんとした」「オーセンティックな」「高級な」性質を求めるというのは、やっぱり僕らもどこかで「ちゃんとした自分でいたい」と思っているからだと確信している。

あまりに情報が溢れ人生が多様化した世の中で、僕らはコスパを追求することに必死になっている。目指すべきゴールをどこに置けばいいのかもわからないから、とりあえず現状の立ち位置を最大限レバレッジして目指せるところを目指そうとしている。その一環として行われるコスパ思考的な購買行動。実はその裏には「ちゃんとした」美に対する憧れというのが逆説的に存在していて、それは「僕たちがどう生きるか」という問いの答えに直結しているのではないかと思った、という話でした。

真面目に生きることは素晴らしいし、美しい。

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