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ルーティンの下剋上

虐げられている言葉たちがいる。

それ自体に悪い意味はないのに、どこか残念感を漂わせている言葉。

「ルーティン」は、かつてその仲間だった。

わたしが20代の頃、ルーティンワークと言えば、今でいうマックジョブくらいの地位だったと記憶している。

「ルーティンワークなんてしたくない」

つまらない大人の形容詞のひとつみたいな。

それが今や、Youtubeサムネイルで輝く、キラーワードのひとつである。

もちろん、そこで紹介されているのは、淡々とした作業であり、キラキラしたものではない。

VUCA時代だからこそ、毎日が単調であるということが安心感になるという、逆転現象なのだろうか?

その多くが、顔出しすらしていない、地味なものだ。

でもその紹介には、そこはかとなく「ていねいな暮らし」感、「人生がうまく行っている秘訣感」など、ポジティブな解釈がうっすらと香りたっている。

見た結果、なにげなくすごすぎることしていることに気がついて、安心どころか落ち込むことすらある。

でも、この感じ、どこかでみたことあるんだよね。

…そう、それはこれ。

女性誌でわたしも大好きだったコーナー、

である。

思い出しついでにググってみたら、こちらはあいかわらずキラキラしていた。

サムネイルの顔がでかい。化粧バッチリ。

VUCA時代に、キラキラ系は負けてなかった。

でも、こんな女子に憧れて、剛毛にストパかけて毛先が武器になっていたころもあったよなあ〜、と懐かしく、憧れていたキラキラ女子の血脈が受け継がれ続けていることに、どこかホッとしたりもして。

それにしてもルーティンも特にないし、カバンの中身には使い回しのレジ袋ですけど、やっぱり気になるんだよね〜。

自分には見せるものないのに、不思議。


自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。