四谷学院を越える、ダブル・トリプル教育の時代
欲しかった先生が作れる時代が来ている。
PDFを投げ込むと、それをソースに質問に答えてくれるAIサービスがあることがわかった。
無料でも使えるけど、月あたり5ドルという本一冊以下の金額で、
「この本のどこかに書いてあった気がするけど…」
からも、
「こんな質問したら、初歩的すぎて授業が止まるかも…」
からも、
解放される世界に既になっていたとは。
特に、何かを学ぶときはまず「この理論の限界と適用範囲」を知りたいけど講師が神状態の会場でそれ聞くと場が凍りつくから言えずにひとり批判的に話を聞かざるを得なくなってしまう、めんどくさい系の人間としては、人に迷惑をかけずにそれができるので最高のツールだと思った。
ただこれ、電子化してるのに電子書籍には使えないので、わたしがもっともやりたくない紙の本を裁断してPDF化するというムダすぎる方式じゃないと、販売時点でPDFのもの以外使えない。
ちょうど今勉強中の資料が英語かつゴリゴリに硬い文章が敷き詰められたPDFだから使えたけど、日本語や最近のライトな本には多い、ゆるいイラストでの図表や広すぎる行間の本が情報ソースとしてどれほど読み取ってもらえるかはちょっとわからない。
学びを深める意味では、論文のようなフォーマットに従って論理的に記述された本の方がAIと協働しやすいけど、
著者が本を売ることを考えれば、なるべく図表(それも文字も含め手書きテイストの)を用いた資料のようなものの方が所有する意味が残るわけで、
AIツールの登場は、直接的なインパクトだけでなく、学問や商いの様式そのものを変えていくパワーになりそうだなあと思った。
最近のニュースでは、日本はAIアシスタントを締め出すのではなく、取り入れる方に舵を切りそうな雰囲気を醸し出している。
個人的には、AIが創造性を奪うというのは使っていない人の意見であるように感じていて、実際使ってみるとこれほどまでに色々な脳の部分を刺激された経験は昨今なかったよねくらい、
コミュニケーションのあり方(Chat-GPTという人外の存在に意図にどう伝えるか)やファクトチェックの重要性(Chat-GPTは呼吸するように嘘を混ぜる)、不適切行動をどう定義づけるか(単純な単語の制限では冤罪も抜け穴も防げない)など、
次世代が日々頭を働かせなければいけないことをすごいスピードで考えさせてくれると感じている。
論理的思考を俯瞰し、批判的に評価する一段上の思考を刺激するし、求められるのがAIツールで、その利用が禁止され始めている高等教育こそそうしたクリティカルシンキングを養うツールとして積極的に使い、議論を深めたらいいと思う。
こういうふうなツールを使って、ふたつのAI結果を比較したりとか、どっちで作ったか当てるとか、楽しい授業無限につくれそう。
ちなみに、さりげなく嘘を混ぜてくるChat-GPTの代わりにソースをリンクしてくれる情報検索用のAIを使って、一次情報を素早く得ることだってできるのだから、Chat-GPTの特性による問題点をAIそのものの問題とするのもずれていると思う。
ちなみに、これらの情報はこちらのYoutubeチャンネルをフォローして入手。
ひとつ手前のムーブメントが、次のムーブメントをさらに加速させる社会構造が見えるのも、なんか感慨深かった。
自分のようなほぼ家庭の人が、社会のあたらしい風を浴びることができるのも、自分が蒸した里芋薄切りにしてベランダに干している間に、最前線の人たちが全力で走ってくれているおかげ。
ほとんど座って勉強する時間がない人間でも、こうした方々とAIティーチャーズの力を一回外食するよりはるかに少ない出費で借りることができる。
ほんと、元気があればなんでもできる。
マジで感謝です。
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自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。