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ツイッターを飛び交う、危険な魔術から身を守る方法

おはようございます。フォトライターのゆっかです。

この投稿は、noteで書き、stand.fmで音声でも公開することを目的に作っています。

現在、来たる子どもの夏休み中、アウトプットを途切れずに続ける方法を模索中なのですが、チャンネルタイトルが「文字じゃ残せない話」というのが、あまりにも矛盾しているので、試験的にチャンネル名を変更しました。

「フォトライターの痛キモちい話」という名前です。

自分のアウトプットのどうしても消せない弱点である、読み手も書き手もちょっと痛いところを引っ掻こうとしてしまう癖、そのキモさ、でもそれがちょっと気持ちいい、というねじまがった性癖をそのままつけました。

タイトル自体に思春期に患うあの病の名残を感じさせる痛さとキモさが現れていて、おいおい、アンタ思春期の子どもの親だろうと、見るたびに、既に「痛キモ」の圧に「気持ちい」が負けて、しんどくなりつつあるので、明日には変わっているかもしれません。

しかし、こういうのにこだわっていると先に進めないので、放置して今日のテーマに入りたいと思います。

今日のテーマは、「結果」は、切り方の問題っていう話です。

あえて、具体的な実例は挙げずに話を進めますが、昨今心を痛める事件が跡を絶ちません。

なにか、そういう事件が起きると必ずと言っていいほど、

「○○政策の当然の帰結
「ずさんな○○の結果
「行き過ぎた○○の末路

といった発言が振りかざされます。

時間の流れは、現在も止まることなく続いています。

遠い過去になれば、たとえば大政奉還を「末路」として見ることができるのと同じレベルで「起点」として見ることもできます。

もっとニュートラルな言葉で、「節目」と呼ぶことも可能です。

わたしたちは、過去だけが経験したもので、未来は描くだけで経験していません。

だから、今経験している「節目」は、手前だけが確かなものに見えてしまいます。

これは、ポジティブなイベントに対しても同じことが言えます。
何かが起きたとき、原因を手前に探してしまう。

何かができるようになったとき、それは自分が正しい努力をしたからだ!と思い込むのもそうです。実際には、好景気の波に乗っていただけだということもあるし、

なにかを学び始めたときの序盤に陥る「完全に理解した!」というまやかしのフェーズにいるだけの場合もあります。

もっと込み入ったケースを上げれば、「もう離婚する!」とパートナーが息巻いたのは、あなたの不手際だけが原因なのではなく、そういう発言をすることで相手の心を動かそうとする「手段」として利用した、犬も食わない夫婦喧嘩にすぎないかもしれないわけです(…あるいは、別のパートナーと一緒になるための「手段」という場合もあります)。

この場合、因果関係のパワーバランスは、過去よりも未来の「果」にあり、今目の前に起きていることを「因」にしようとしています。

ここで、胸を痛めるニュースへの反応に戻って見ましょう。

これらの発言が飛び交うような大きな事件は、後から振り返るとき、むしろ「起点」になっていることはないでしょうか?

あるいは、それを「起点」として捉え直すと、どんな未来が思い浮かぶでしょうか?

それは、何かの「起点」とするために大きく報道されている可能性に気づくかもしれません。

あるいは、それを「起点」とすることで、よりよい未来につなげるアクションも見出せるかもしれません。

言葉って魔術だなって、いつも思います。
(ちょっと前まで「呪文」と呼んでいましたが、社会的にAIプロンプトを呪文と呼ぶようになったので、かぶるため変えました。)

切れ目の存在しない、運動の中に「結果」という言葉をひとつ、ポンっと置くだけで、過去のなかに「原因」を見出させてしまう。

もちろん、ひとつの事象には数えきれない連続性や関係性があるので、部分的には因果関係はあるでしょう。

この魔術が恐ろしいのは、その「部分」的な原因を「たったひとつの唯一の原因」のように見せてしまうことです。

わたしたちは、いつも脳のエネルギーを節約したいので、何かが起きたとき、最初に思いついたひとつの因果で結論づけようとします。

けれど、この魔術としての言葉が、匿名で伝染させる今の時代には、このメカニズムを自覚して、伝染病にかからないように気をつける必要はあるように思います。

もし、なにか胸を痛める事象が起きたとき、それが何かの「結果」だと納得したり、溜飲を下げようとする自分を発見したら、それをとりあえず置いておいて、別のつながりを、探す。

できれば、未来にも同じくらい探すこと。

それはとても疲れるけれど、自分と自分とつながる誰かの心が健康でいるためにできる、大切な感染対策なのではないでしょうか?

年寄りくさい言葉で言えば、「心のマスク」。

めっちゃ校長先生が朝会で言いそうなつまらないオチがついたところで結びにしたいと思います。

今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

あなたの1日が、今日も美しくよろこびに満ちたものでありますように。
ではまた!


自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。