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文字数感覚にコミットする。

数字で測ることなく、ピッタリそのサイズを当てる力が、人間にはある。

「そろそろおやつ(3時)かな〜」っていう時間の感覚、
「このズボンは入らないだろう」っていう大きさの感覚、
「さすがにこれは水入れすぎだろう」っていう量の感覚。

思いつきで書いているので例がふさわしいかはあやしいけど、熟練になると本当にピッタリ当てる人もいて、魔術を見ているような気持ちになる。

引越し業者の人が、箱ピッタリの長さでガムテープを切るとか、毎回足りなかったり余ったりしているわたしからみると、もはや神だ。

一方で、実は自分にもその手の特技があって、それは撮影に必要な明るさを、露出計で測る前にコンマ単位まで当てる(ただしISO400での数値に限る)というものだ。

多分、心配性で始終露出を測りまくってたから身についたんだと思う。

デジタル時代になってほぼ不要なスキルになったので、もう錆び付いていると思うけど、この感覚って単にピンとくる、パッと浮かぶっていう、途中式が本人にも全くわからないブラックボックスだった。

体が覚えたことは、頭には教えてもらえないのだ。

さて、なぜ今日こんなことを書いているのかというと、物心着いた頃から、アホみたいに文字を書き続けているのに、わたしには「文字数感覚」というものが、まるでないことに気がついたからである。

とにかく書き過ぎてしまう。無駄に長い。小学校の頃から、しょうもない作文に原稿用紙を5枚も6枚も使っていた。

長く書くとなぜか褒められるので、問題とも思っていなかった。でも一度もコンクールなどに出されたことすらないので、本当に無駄にただ長いだけだったんだと思う。

今は、あとからいらない部分を一瞬で闇に消し去れるので、この欠点は目立たなくなったけど、後で消せばいいという安心感は、文字数感覚を育てない。

で、このツケが回ってきているのがこの5分日記である。

今日は、昨日のライターコミュニティのミーティングで、800字で書くという基準をもらったので、それを守ろうというのがテーマだった。

が、ほらごらん、もう860字なのである。

うん、やめよう。感覚を身につけるために。強制終了、また明日。

自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。