大掃除が終わった日
毎日note(日曜、年末年始休暇あり)をはじめて、今日で44本目になる。
(今数えた)
最初に書いたのが11月19日で、期間としては昨日で2ヶ月が経ったことになる。
短く書くことを心がけるものの、「日常会話で話しにくい話」が自分の関心の中心にあり、思考の角に溜まった埃をとるような感じでもあった。
年末にかけて、その傾向はどんどん強くなり、去年部屋の大掃除には全く手をつけられなかったのは、頭の大掃除に忙しすぎたからなんじゃないかと、今になって思うくらいだ。
年末年始休みをはさんだあとは一瞬、頭の中が驚きの白さになったのも束の間、あっという間に掃除の続きがはじまった。
そして、今日である。
いつも日中モヤっとしたことや、気づいたことがあると、明日のnoteのとっかかりにしようとメモをとるんだけど、
これまでそのメモを見ては「どれを書こうか?」といくつかの関心事項から選んでいる感覚があった。
けれども今日は、そのどれもが「もう終わったつまらない話」にしか、見えなかったのだ。
自分で書く価値があるだろうと思ってメモったのに、「どの話も聞きたくない」。
当然、書きたくもない。
何が起きたんだろう?
思いつくのは、一昨日、今年中心になって進める予定の勉強会の立て付けが決まり、事前に共有する資料を自分らしい、ふざけたノリで仕上げる決意が固まったことと、
去年から集中的に学んでいるコーチングとと成人発達理論をもとにしたセッションをはじめて提供して、仮説が実証された手応えをいくぶん感じられたことだ。
毎日noteを(こちらは本当に毎日)投稿している先輩ライターの方から、毎日書き続けると、仕事が増えたりはしないけど、自分の文体を発見できると(いう話をその方の先輩から聞いたという)話を聞いた。
継続(しかも休みながら)44日程度のわたしには、その効果が現れるのにはまだ時間がかかりそうな感覚しかない。
でも、ここ数ヶ月、出口が見えない状態で彷徨っていた頭の中が、日々の頭の掃除を通して片付いてきている、
そんな気がしたのである。
その予感が当たっているかはわからないけど、今日から書く内容は、今までと変わっていくように思う。
それがどんなものになるのか、それとも毎日アタック並みの白さの頭をわざわざ汚しにいくことになるのか、
ちょっとワクワク、でもちょっと怖い気持ちを抱えながら、それとはまるで無関係な目の前の帳簿の整理というタスクに、重い腰を上げる。
自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。