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人生って本当に短んだとわからせられた話

こんにちわ、佐倉です。

命短しぃ〜♪恋せよ乙女ぇ〜♪
そんなナツメロが浮かびそうな本日のお題。

あ、この歌詞でググると、お若い方が舌を噛みそうな勢いで歌ってるのが出てくるけど、私の頭の中を流れているのは「森繁久弥さんのゴンドラの歌」です。(古)

森繁先生とも呼ばれる大御所の森繁久弥さん、若い子には「おっこと主の声の人」というと通じました(これも通じないさらに若い子もいる)

この写真が私の知ってる森重さん。これ以上若いのも老いたのも違うって思っちゃう身勝手さw

えーっと、森重さんの話じゃなかった。(写真まで出したけど)

ずっと先を生きてきた先輩たちにさ
人生って短いって言われてきたけれど
チーっとも実感がわかなかったんですね。私。

なんならいつでもお迎えどうぞ〜的な感じだったんだけど。

最近、ああ、人生って本当に思った以上に短いんだなと実感することが多くなってきたのです。

まず、一番大きなのは、夫との歳の差で感じることです。
うちの夫は私の14歳上なので、今年69歳です。
二人とも、まだまだ若いと思っていたんだけれど
先日神社に行った夫がガックリして帰ってきたのよね
どうしたのって聞いたら
「俺、数え年て70歳なんだって・・・」と一言。

どうやら69歳と70歳との間には
深くて遠い川が流れていたようです。。。

夫のそんな姿を見て思ったのよね。
私、この人とあとどれだけ花見ができるんだろって。
二人でドライブ、あと何年できるのかしら。って

ものすごーく身近に思ってしまった。

桜並木の河川敷は美しいよね

今回夫が一人で詣でた神社は
山道がほぼ山登りかよ、っていう山の中。
夫がガックリした原因の一つに
「もうあの神社にお邪魔することはできないな」という
肉体的な理由もあったように思いました。

15年前に二人で詣でた時は
もちろん二人とも元気で、
休むことなく登り切ることができたのだから
実際はそれほど大変なところじゃないと思う。

しかし、それが難しくなってしまった。
何度も休んでは、社を望んで頑張ったらしい。
そして、その体力の衰えにプラスして
数えで70歳という事実を突きつけられて帰ってきた。

その神社には
もう二人でいくことはなくなった。
という事実が私にも分かりました。

その時の感情は
寂しいというか虚しいというか、仕方ないというか。
なんとも言えない、終末に向けた諦めのようなものでした。

私は生まれて初めて
「もう一度人生をやり直したい」と思いました。
それは健やかで幸せな人生を、、、という意味ではなく
「もっと時間が欲しい」という意味で。

身体が動くときに、もっとやりたいことがあった。
夫と一緒に見たい景色がまだまだある。

そして私は「人生の短さ」というものを身を以て体験中です。

ここ(那智の滝)も結構きついよね〜w


突然の別れというものもあります。
私も身近な人が突然目の前からいなくなる体験をしています。

それは片腕をもがれるような痛みを伴い
しばらく生きている気がしませんでしたし
受け入れるのに時間がかかりました。

それでも今感じているような
「人生は短い」という感覚を覚えることはありませんでした。

そして今
あと何度、夫と「今日も暑いね」と愚痴を言い合えるのかしら、と思いながら、日々を生きています。

それは夫が死んでいなくなる、ということよりも
想像しやすく、そして実感しやすいものとして受け入れています。

私は皆さんと同じように
自分だけは死なないんじゃないかと思って生きていますw

死ぬなら、歳をとって死ぬのだろうなと
勝手に自分の寿命を妄想しています。

でも、それが妄想であることも、頭の片隅で知ってます。

人生は短い。

こんな真理に気付けたのも、この歳になったからだと思います。

人生55年になります。
やっとやっと、人生の短さというものを
心から語れる年になったのだと思いつつ

本日はここまで。







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