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苦しみの捉え方を変えるといいらしい

苦しいって嫌なものです。
できれば避けて通りたい。
でも、苦しい体験や辛い体験がないと、成長しようと思わないだろうし、自分の中に思いやりも共感能力などの外側へと進歩がなくなるのも事実です。

例えば、苦しい辛いと感じるからこそ、自分を改めようと思うし、自分を変えたいと思うようになり、それが向上心として芽生えていくこともあります。
あるいは、人間関係で味わう様々な苦悩や葛藤を通して、お互いに親密になったり、絆が深まったりすることを多くの人が体験しているのではないかと思います。

スピリチュアルな真実と言われるものの中に

「どんな苦悩や困難も、人生で得られる最高の祝福だ」
という、普通に考えたらびっくりするような教えがあります。

初めてこうした教えに出会った時の私の感想は「は?」

苦しく辛い人生が嫌だからスピリチュアルを学んでいるのに、これが最高の祝福だなんて意味がわからない!とプチ混乱。

でも周りの人を見ると、皆したり顔で「そうよね、そうよね」と。。。
うーん、私が理解できないのは、頭が悪いからだろうか、それとも性格がひねくれているからだろうか。と別の悩みができたり(笑)

とにかく、苦しいのが嫌で、悩みばかりの人生が嫌で逃げ込んだはずの世界では「苦しみは恩寵だ」というちょっとキモい世界でした。

そう、私は常に辛いことや苦しいことから逃げることばかり考えてきました。(まあ、普通はそうですが)

逃げた方は色々あります。
例えばお酒を飲んだり、車やバイクをぶっ飛ばしたり、または他の誰かのせいでこんな目になっていると理由をつけたり。
蓋をして忘れようとしたり、紛らわす方法をとってます。

そんな悩み苦しんでいる人に対して、行が悪いからじゃないの?とか、悪いカルマを持っている人なんだろうとか、蔑んだ目で見ているわけです。

私たちっていうのは、そういうもんです。

こんな風に、多くの人が苦しみっていうのは自分がダメな人間であるという証拠のような恥ずべきものだと思ってる節があるわけで。

悩み苦しむことを忌み嫌い、蔑み、恐れる。
これが私たちが苦しみというものに対する「見方」であり「態度」だと言っても過言ではないと思う。

この見方と態度を、少し変えてみることで人生が変化していくとしたら、やってみる価値があると思わん?
(私は思ったのでやってみた。結果よかったので書いてるわけだが)

いつも幸せで贅沢に暮らし、ものやお金に満たされていたとしても、悩みは尽きず、苦しみはやってきます。
なぜなら、苦しみって「本当の自分」が目覚めるまで続くから。

マジか!って言ってる

どうせ、何をどう頑張っても、どんなに恵まれていたとしても、自分が誰であるかがわかるまで(目覚めるまで)苦しいのが続くなら。

もう、受け止めてしまうのが得策だと、佐倉は思うのです。

私たちの人生の一部でもある苦しみや悩み、苦悩や困難を自分の味方にするために正しく捉えて理解することで、本当の人生へと導かれる。
なんだかバリバリスピリチュアルな常套句なんだけど、本当にそうで。

苦しみや困難というのは「自分のせいでもないし、自分でなんとかできるものじゃないんだ」と受け取り、考え方や価値観の変化をすることで、そこから自分の心神(たましい)との深い交流が始まる準備が整い始める。

困難や苦しみっていうのは、人間が本来の生き方に気づくためのスイッチみたいなものなのかなあと最近思えるようになりました。

苦しんでる渦中は「私ばっかり。。。」ってなるんだけどね(苦笑)




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