【14. Key】

カケガエのない大切な存在…
というものは大概にして、失ってみて初めてその存在の価値や大きさに気付く。
それを2人は互いに痛感していた。
性格、趣味、食べ物の好み、特異な性嗜好やSEXの相性だって悪くない、むしろ良かったほう。
共通の友人達もその仲を羨むほど。
それなのに…どうして…?
例えどんなに足掻こうと、もう後には引き返せない。
そう考えるのが“普通”…。


彼女も彼も、互いを忘れようと努力する。
最も有効で簡単なその方法といえば、やはり仕事だろうか。
頭や体を動かし続ければ、余計なことを考える隙を作らずに済む。

これまで、付き合った人と別れる度に、会社か職場を変えてきた彼女。
彼が出ていった後も、例外ではなかった。
通勤にやや難があるため、遠回しに遠慮していたというべきか、
「もうちょっと考えさせて下さい…」
の一点張りを決め込んでいた筈の、前々から上司に打診されていた新設したばかりの職場への異動。
それを受けることにした。
そして、同時に昇進。
心機一転、初心に戻り、仕事に励む。
新しい職場。
管理の仕事。
増えた仲間達。
異動早々の歓迎会の席でのこと。
「結婚は?」
「私、バツありなの…」
「そうなの?じゃあ彼氏は?」
「こないだ別れたばっかり…」
「あ、ごめ~ん…」
悪気が無いのは解っていても、何人もの仲間が同じような質問を繰り返し、棘を刺す。
一通り一巡するまで、その話題に触れられることが無くなるのを待った。
ともあれ新たな環境で、彼女は暗闇の雲間を掻き分けながら進み出した。
かといって、仕事中にせよ、その帰りにせよ、休日にせよ、想い出さない訳ではない。
“食事会”と称し、月に数回の頻度で行われる呑み会にも積極的に参加したり、休日には見ているだけで嬉しくなってくるディズニーストアを覗いたり、宛もなく仙台の繁華街をブラブラと歩き眺め、気を紛らわせた。
それに加えて、可能な限り毎日のように、少しだけでも、仕事帰りに逢いに来てくれるカレが、一歩一歩、一筋の光の射す方へと導いてくれた。
少しずつ和らいでいく想い。
…ワガママばかり言ってきたし、迷惑も、辛い想いもさせてきたのに、それでも傍にいてくれるカレ…ずっと傍にくれたのに…ごめんね…ありがと…
しかし、そう思う気持ちとは裏腹に、携帯からも記憶からも、未だ消せない彼の存在。
その時点で、彼女自身がそのことに気付いていない筈もない。
ただ、自分の気持ちを偽ろうと藻掻いているだけに過ぎなかった。


ある日、彼女が帰宅すると、今朝まであった筈の彼の服がチェストから消えているのに気付いた。
…いつ帰ってきたの?…いまどこ?…
…もしかしてTELかメール、くれてた?…
そう思い、それまでも何度もしてきたように画面を確認してみた。
通知はない。
…なんで?…
…少しだけでも話したかったのに…
もうすぐ埋もれ消え逝く彼の履歴を探し、通話ボタンを押そうとする。
しかし、その親指の動きを邪魔をする者がそこに存在していた。
それも彼女自身。
気が強くて意地っ張りな性格。
去る者は追わず、というポリシー。
それと自己防衛。
そういった言葉を並べれば聞こえは良いが、それは単に“臆病”とも言い換えられる。
…もし出てくれなかったら?…
…掛け直してもくれなかったら?…
…もうこれ以上、苦しくなるのはイヤ…
結局、ただ一個の、そのボタンを押すことはなかった。
頬を伝う一筋の感覚に、ふと彼女はベッドルームの明かりを消す。
窓辺に立ち、カーテンをゆっくりと閉めながら、何気なく外を見渡した。
!!
…ガラッ…
っと一気に窓を開け、目を凝らす。
間違いない。
公園の、絶対に絶対に見覚えのある人影が、駐車場の方へと消えていく。
…待って!!…
急いで部屋を飛び出し、階段を駈け降り、息を切らしながら道路向かいの駐車場に向かう。
だが、生憎の交通量に遠回りするしかない。
すぐ脇に佇む歩道橋を駈け上がった。
しかし…
彼の車は彼女のすぐ横をゆっくりと通り過ぎて行く。
ようやく渡り終える、その既のところで…。
幾ら手を延ばしてみても、しかしその声は届かない。
思わずその場にしゃがみ込んだ。
彼は、気付く筈もない。
ブランコから降りた時点で、もう既に彼女の姿を捉える機能の半分を失っていた。
その瞳から溢れる涙のせいで…。
バックミラーの中、彼女の寝室のフラミンゴ色のカーテンが、穏やかな風に旗めいていた。


彼の仕事も、順調な滑り出し。
大した仕事ではないにしろ、八王子、川口、両国と、立て続けに舞い込んだ依頼を無難にこなす。
これまでの彼の仕事ぶりが元請け会社の部長の目に留まり、
「今度青梅の病院での仕事があるから、これからは直接請け負ってくれない?」
と声を掛けられる。
当然、二つ返事で契約を結んだ。
収入も仕事量もUP確定。
これで仕事の悩みは限りなくゼロに近付く。

彼にも友達と呼べる仲の良い仕事仲間ができ、自宅に招待されて、お酒やその奥さんの手料理をご馳走になったりもした。
「彼女とか居ないの?」
奥さんに差し出された皿を受け取りながら友人が訊ねた。
奥さんもその質問に足が止まり、興味津々の様子。
「最近、別れたんで…それで、こっちに来た感じ…」
レイカとの現在を話すより先に、つい彼女との過去を口にする。
…未練がましいよな…
そう想い、少し酔ったフリをして溜め息を吐いた。
その時、何となくバイブを感じたような気がした彼は、ジーンズのポケットに手を当ててみる。
気のせい、なのは解っている。
まだ彼女との想い出が沢山詰まったままの携帯を取り出し、テーブルの下にそっと置いた。
彼も、頭の中、車の中、バッグにも、もう一方のポケットにも、彼女との想い出を何一つ片付けることすらできずにいた。


もうすっかりレイカとの新しい生活にも馴れた彼は、いつもより少し早めに家を出て、喫茶店でモーニングコーヒーを飲み、電車の時間が近付くと目の前の北口に消えていく。
ある日の休日には、ドライブがてら買い物やTVで見掛けたファストフードのお店などを巡って過ごした。
その日は品川~台場~横浜のルート。
「ここ、前に仕事したことあるよ…向こうも…あっちの方のビルも…」
一緒に来たことがない場所に訪れると、彼は決まって楽しそうに、自慢気に話す。
…はいはい、わかったわかった!
「凄いねっ?」か「そうなんだぁ!」
って言って欲しいのね?…
少なくとも彼女はいつもそう思っていた。
彼の運転する助手席に座ってみれば、きっとわかってくれる筈。
品川のショッピングセンターで買い物を済ませ、ヴィーナスフォート内のお店で食事。
隣の観覧車はまた今度乗ることにして、長い海底トンネルを下って上って…中華街に向かう。
誰と来たのかは別にして
「美味しいものが一杯だから…中華街にまた行きたいなぁ…」
と彼女が言っていたのを彼は思い出す。
…ごめんね。結局、連れて来れなかったね…
これまで彼が横浜中華街の何軒かで食べてみた上で、改めて感じたのは、もし中華料理を食べるのであれば、レイカと初めて食事した池袋のあのお店の方が、断然安いし量が多いし、味も旨い!…ということ。
どうせならそこに
…彼女を連れてきたかった…
隣にはレイカの笑顔があるのに、少しも薄れない彼の中の彼女。


結局は
…解決してくれるのは、きっと時間だけ…
2人共にそう思った。


それでも…
ただ一つだけ…
どうしても互いを意識せざるを得ないモノの存在。
それが…鍵…



仕事もプライベートも、
…すべてが順調に進んでいる…
そう彼が思っていた矢先…
急にレイカは暫く実家に帰ることとなった。
詳細は話したがらないので敢えて訊かないが、何かしら家庭の事情なのだろう。
「すぐ戻れんの?」
「ごめんね…1ヶ月は戻れないかも…」
「え?そんなに?お店は?大丈夫なの?」
「平気、平気…みんな信頼できる人ばかりだから!」
「そっか…」
「ちゃんと電話もメールもするからねっ…私も待ってるから…」
「うん…解った…」
と口では言うものの、
…旦那さんにも会ったりするよね?…
…もう帰らない、なんてことないよね? …
そう感じながら、彼は空港でレイカを見送った。
「気を付けて…行ってらっしゃい…」
「行ってきます…」
最後のキスをした。
…きっとあの時、レイカはこんな気持ちだったのだろう…
そう思いながら、彼は独りの部屋に帰っていった。

その夜、早速彼はTELをしてみる。
「もしもし?色々寄り道してたから、さっき実家に着いたばかりなの…」
きっと事前に沢山用意していたお土産を親戚中に配って歩いたんだろう。
他愛ない話しを交わす中、レイカの後ろから聞こえてきた子供の声。
「しぃ~!……電話してんだから静かにして!…」
「それって…レイカのお子さん?」
「あ…聞こえた?……ううん、…………親戚の子……遊びに来てるの…」
「そうなんだぁ…」
それが真実かどうか…それを知る術はない。
「疲れたでしょ?そろそろ切るから。ゆっくり休んでね…おやすみ…」
「うん…おやすみ…」


そんな折、彼に、横浜でのかなり大きな仕事が舞い込んだ。
車での移動なので時間も掛かるため、家に着くのは大抵22:00過ぎ。
「ただいま…」
…おかえり…
の声が聴きたくて、独り呟いてみる。
レイカに電話しようとも思ったが、もう遅い時間。
…まだ起きてる?良かったら電話してね…
とりあえずメールするが返信はない。
とりあえず浴室で汗を洗い流す。
身体を拭きながら、画面を確認するも着信は入っていなかった。
…もう寝ちゃったのかな?…
翌朝も、昼時もTELしてみたが、結果は同じ。
レイカが電話もメールもくれない理由をあれこれ考え、浮かんで来たのは
…今何してる?…
…何で出ない?…
…何で掛けない!?…
…気持ちが冷めちゃった!?…
疑問と憤り、そして不安。
彼も、掛けるのを諦めた。
というより、掛けられなくなった。
そう、それはまさに一緒。
…きっとあの時、彼女はこんな気持ちだったんだろうな…
結局、彼女のこと“ばかり”考えてしまう日々が再び始まった。


学生時代から朝昼抜き、夜一食という彼は、横浜からの仕事帰りはパンダの看板が目印のラーメン店に毎日のように通った。
味の濃ゆいネギ味噌ラーメン大盛り、たまに餃子付き。
それでも足りない時は、コンビニでトマトベースのパスタを買う。
とにかく麺好き。
毎日そんな食生活では体に悪いだろうと、時々朝食としてスタバのサンドを押し込んだり、お昼は横浜の仕事先である会社の社員食堂を利用した。
彼のお薦めは
「C定、味噌で…」
やはり、大好きな“カレー+ラーメン・うどん・そばから選べる麺類”のセットらしい。
昼も夜もラーメンとは…よくも飽きないものだ。

深夜遅くまで仕事をしていると、休憩所に向かう途中、夜勤で頑張る社員さん達とすれ違う。
「今日も遅くまで?お疲れさまですねぇ?」
と向こうからも声を掛けてくれるほどに顔見知りになってしまう。
それに彼は笑いながら返事した。
「お疲れ様です。俺、仕事遅いんでしょうがないっすね。自業自得っす」
休憩所の端のほう、黄色く変色したパーテーションに囲まれた喫煙所にいるメンバーは、大抵いつも同じ顔ぶれ。
甘いペットボトルのコーヒーを片手に、煙草を咥える彼も加わり、今日のプロ野球の結果はこうだった、あの政治家の発言は問題だ、どこの何が旨いというグルメ情報などで約5分間盛り上がる。
まさにその対極となる、誰もいない、誰も帰って来ない、寂しい部屋。
…それならばいっそ…
と、本来なら3~4人で処理するような内容を彼1人でこなし、休日も惜しまず毎日遅くまで残業していた。
浮いた分の経費は彼が総取りできるため、尚更精も出る。
…どうせ帰っても何の楽しみもない…
そして、彼は家へ帰ることすら次第に億劫になっていった。
お風呂は仕事先近くのスーパー銭湯、洗濯はコインランドリーで済ませ、車中で眠る。
それを知ってか、発注者であるお偉いさんのご厚意により、後に仮眠室まで利用させて貰うまでになっていた。

仕事も後半に差し掛かったところで、彼独りでこなせる範疇を越えた作業が発生した。
すぐに、昔馴染みの業者の常務に連絡してみる。
昔から返ってくる決まり文句はこうだ。
「お前の頼みなら仕方ない…その代わり高いからな…」
急な頼みとはいえ、超エリート部隊が駆け付け、予定よりも2日も早く仕上げる期待通りのスマートな仕事を遂行。
数日後、彼は常務に連絡を入れた。
「こないだは、お世話様でした。さっき入金しといたんで、事務員さんに確認してもらって…」
過去に何度も助けて貰い、世話になった感謝の意味と、今後の付き合いの事前投資も兼ねて、見積り金額の満額+αを入金しておいた。
翌日、やはり電話が来た。
「なんか間違ってないか?」
何はともあれ、約2ヶ月とちょっとで、横浜の仕事は無事に引渡し日を迎えた。
久々に顔を出した元請けの社長も、仕上がり具合を確認して満足気だ。
帰り際に
「次は埼玉の病院あるからよろしくね」
と声が掛かる。
元請け会社の所在地から程近い場所。
「どうせなら、うちの会社の近くに引っ越して来たら?その方が何かと便利だし…」
…確かにそれは言える…
東京よりは埼玉の仕事が多くなっているし、元請けの事務所に出向く回数も格段に増えた。
嵩む交通費と移動に費やす時間。
節約を考えれば、検討すべき事案。
ただし、それは独り暮らしだった場合のこと。
元請けの誰にも、彼がレイカと一緒に暮らしていることを伝えていなかった。
実際、一緒に暮らしていると言えるのかは甚だ疑問ではあるが…。
話してあるのは、仙台に別れた彼女がいることと、今は池袋に住んでいるということだけ。
「ごめんね…1ヶ月は戻れないかも…」
とレイカが言ったあの時から、もう既に2ヶ月近くが経っていた。
それに、電話をしてもメールしても、一向に返事はこない。
いつ帰るかすらわからない。

彼は、埼玉に部屋を借りることを決めた。
…ごめん、…
その一言だけをレイカにメールした。
レイカからの返事はなかった。
そして彼は、レイカの元から巣立って行った。


2019/05/30 更新中
《↓たぶん読み辛い漢字》
既…すんで

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