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ヤマハの歴史が丸わかり!コミュニケーションプラザに行ってみた!

私たちNeoriders Projectでは、国内4大バイクメーカーの資料館への訪問を行っています。
今回はヤマハ発動機の資料館であるコミュニケーションプラザに行ってきた様子をお伝えします!

コミュニケーションプラザとは?

聞いただけでは何の施設か分かりにくい「コミュニケーションプラザ」という名前ですが、ヤマハの製品が大好きな私たちや、ヤマハ発動機グループの社員、そして取引先とのコミュニケーションに重きをおき、情報交換や交流を通してスキルを高め合うことをコンセプトとしているそうです。

コミュニケーションプラザは静岡県磐田市にあります。現在ヤマハ発動機の本社は同じく磐田市にありますが、ヤマハ発動機創業時はスズキ、ホンダの創業地でもある浜松に本社ができました!

ヤマハ発動機の起源は日本楽器製造株式会社という楽器メーカーであり、日本楽器
製造のオートバイ製造部門が分離独立することでヤマハ発動機が設立されました。
国内4大メーカ―のうち、3メーカーが浜松発祥なのは驚きですね!

コミュニケーションプラザ正面玄関

コミュニケーションプラザの1階には現在販売されているバイクが数多く展示されていました。また、バイクだけでなく、世界中で活躍している発電機やボート、トヨタの名車2000GT、レクサスLFAを見ることができました。
製品以外にも技術展示、デザイン展示、シミュレーターがあり、バイクには乗っていないけど機械が好きな人やデザインに興味がある人も十分楽しめる施設だと思います!

トヨタ・2000GT (1967年) 出典
V8 水素エンジン(センサーに手をかざせば音が聞けます!!)

2階にはヤマハの歴史や過去の名車が展示されていました。昔からのヤマハファンにとってはたまらないフロアでしょう!!

1980年代のバイク


館長が一番おすすめするコーナー ”ヤマハ発動機の歴史”

「コミュニケーションプラザの一番のおすすめコーナーはどこですか?」
正直濁されるかと思ってぶつけてみた質問でしたが、館長は”ヤマハ発動機の歴史”のコーナーだと教えてくれました!

”ヤマハ発動機の歴史”コーナー

ということで、ヤマハ発動機の歴史についてじっくりと勉強することにしました。

一番の驚きだったことが、ヤマハは最後発のメーカーだったということです!

現在の4大バイクメーカーだけで考えてもホンダは1947年のホンダA型、スズキは1952年のパワーフリー号、カワサキは1954年の川崎号が最初のバイクであり、ヤマハは1955年のYA-1が最初のバイクです。

誤差のように感じるかもしれませんが、最初のバイクであるYA-1が開発・生産されたのは、まだ日本楽器のオートバイ製造部門時代の頃であり、ヤマハ発動機として本格的に二輪メーカーへと参入し始めたのは他メーカーと比べてかなり遅いと言えます。

YA-1(愛称は赤トンボ)

YA-1はDKW(独:デーカーヴェー社)の「RT125」というバイクをベースに開発がスタートされました。ヤマハはさらに新設計の変速ギアや日本初の始動方式(プライマリー方式)を採用し、RT125とは一線を画す製品を作り上げました。
キックスターターに関して詳しく知りたい人はこちら
このYA-1のカラーリングを担当したのは、現在でもヤマハのバイクのデザインに携わっている「GK Design Group」だそうです。GK Design Groupは東京藝術大学の何人かの学生の集まりが母体となり、1952年に発足したデザイン集団です。ヤマハ(当時の日本楽器)のアップライトピアノのデザインに携わったことがきっかけで、YA-1のデザインにも携わることになったそうです。現在ヤマハから発売されているNIKENやYZF-R1のデザインもGKが担当しています。
創業当時から現在まで繋がりを持ち続けているのはすごいことですね!


GK Design Groupがデザインに携わったNIKEN 出典

素晴らしいバイクを作ったとはいえ、後発メーカーのバイクがなぜ大人気になったんでしょうか?

それは、まさにレースでの成績です!

当時はレースでの成績が販売実績に直結すると言われるほどレースの成績は重要視されていました。ヤマハが初めてレースに出場したのは、1955年7月10日開催の第三回富士登山レースでした。そこでヤマハのYA-1は初参戦ながら優勝しました!これはYA-1を発売して約5か月後のことです...想像を絶するほどの努力があったに違いありませんね!

その後も数々のレースで素晴らしい成績を上げて知名度はますます上がっていきました。

第1回浅間高原レースのスタート風景 出典

楽器メーカーからオートバイのメーカーが誕生した訳ですが、ヤマハはさらに事業を拡大していきます。1960年代にはボートや船外機、自動車、スノーモビル、1970年代には発電機やプール、除雪機、バギーなどますます事業が多軸化されました。

事業の多軸化


各年代の名車

歴史のコーナーを抜けると、まず初めに現れたのがファクトリーマシンでした。
私はレース関係に疎いため車名等は全く分かりませんでしたが、このコーナーは各時代で”最速”を求めて作られた技術の宝庫だと考えると、それらが一面に並んでいる光景には感動を覚えました。

ファクトリーマシン

ファクトリーマシンの展示の先には各年代ごとの名車が展示されていました。
各年代ごとのバイクの特徴について考えるのがとても楽しかったです!

個人的にデザインが好きな名車がTDM850というバイクです。ヨーロッパで大人気を博したバイクで、市街地から山岳地帯のワインディングロードの走行まで考慮して設計されたと言われています。これは1990年〜のコーナーに展示されていました。

TDM850

1955年〜のコーナーに展示されていたのがMF-1というバイク(正確にはモベットという分類の軽車両)でした。
「14歳以上なら誰でも乗れる」「新しい時代の国民車」という宣伝コピーで登場したそうです。

ヤマハ初のモペット MF-1(画像左車輛)

その他にもたくさんの名車が展示されていました。

まとめ

ここまで読んでみて、ヤマハの歴史は面白い!過去の名車をもっと見たい!と思った方、たくさんいるのではないでしょうか!

もっと詳しくヤマハの歴史や車両のことを知りたい方は、ぜひコミュニケーションプラザに足を運んでみてください!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

これを読めば色んな人に豆知識を披露できるかも!?


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