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クリエイティブとは一見関係なさそうな本を紹介してどう咀嚼したか、改めて考えてみた。

はじめに

どうも、こんばんは。今回は新しい試みとして、いつしか何か「種」になるかと思い、読んだ本を紹介していきたいと思います。

大学は教育学部中退。高校は、インテリア系のデザインだったり総合的に造形物を学んできた、筆者なので文才なんてある気はしていませんが、書き綴っていきます。

紹介する本
レッドチーム思考 組織の中に「最後の反対者」を飼う 
ミカ・ゼンコ(著)関 美和(翻訳) 

2016年発売の本です。
私が、大学に入学してちょっとたったぐらいの本ですね。当時、本屋でバイトをしていたので、社割で買ったのです。

博識でもなんでもなかった私には、目次から強烈なものだったことを記憶しています。疑問、疑いを投げかけ、徹底的な批判。なんだか「ソクラテス式問答法」に近いものを感じました。

■はじめに
組織には「悪魔の代弁者」が必要だ
かつてローマカトリック教会は、
場当たり的に乱発されていた聖人認定を厳格化するため、
「悪魔の代弁者」という役職を設けた。
その役目は、候補者が成したとされる徳や奇跡に疑いを投げかけ、
徹底的な反対意見を述べることだった。
現代の組織において最も必要なのは、この「悪魔の代弁者」の存在である。

レッドチーム思考 組織の中に「最後の反対者」を飼う ミカ・ゼンコ(著)関 美和(翻訳)

どうして手に取ったのか

うろおぼえですが、内向的な人間性の自分の中に6人ほど人がいて、意思決定をする際に、その6人が会議をしているような内容だと記憶しています。

そのなかで、1人は批判的な人間がいて常に不安を煽ってきていました。

そんな6人会議が起こっていた内容だった気がする。そして、帯とタイトルに当時惹かれたんだと思っています。

少し気が楽になった

言ってしまえば、苛まれていた「自己嫌悪」が少し軽くなった瞬間で、「人」について、考える上で、「人の集合体」である「企業・軍」が望んで、「悪魔の代弁者」を組織に入れていた事実。

「少しの毒は、薬になりえる」のだな、と感じた瞬間でした。

自分の中に飼ってみて

なんとなく、自己肯定感と虚無な感情を同時に手に入れた気分になりました。案の定、躓きました。そこで、出てきた言葉が、「追認(確証)バイアス」です。

認知心理学社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと[1][2]認知バイアスの一種。また、その結果として稀な事象の起こる確率を過大評価しがちであることも知られている[3]

確証バイアス / Wikipedia

ざっくりいうと、「悪魔の代弁者」を飼いならしている。状態になっていた。そう言わざる負えません。

言うなれば、考慮にいれている、いれた、この行為を、1回で終わらせてしまっていた。なんて愚かなんでしょう。「試行錯誤」において、シュミレーションが1回で終わり、何度も繰り返して、意味を出すものなのに、性質である「徹底的」というものを安堵感からか、忘れていたのです。

何度も何度も繰り返して結論は、出す。そんな必要があるようでした。どんな結論に対しても、異を唱えるように考え再考し、より良いものを探求する。とでも言うのでしょうか。なんだか、救いのないような考え方の様な気はしますけど、その救いのないような感じが、考え、作り出す、生み出す。ってことなのかなと肌感で感じました。

まとめ

内面的な仰々しい話をしてきたのだが、クリエイティブの概念にすらも触れていないですが、なにか得られるものはあったでしょうか?だが、読んでくれた方の中の誰かが、試行錯誤の上、決めたことに対して、「悪魔の代弁者」に問うということ、をしてみたりしなかったり、少なからず感性を揺さぶれたならば、こちらとしては、本望です。

Ps.

何歳になっても、本気で徹底的に反対意見を言ってくれる人って思ったより、貴重だと思うんですよね。なぜなら自分の身を案じてくれているのだから、ひょっとして、反対意見は「天使の囁き」なのかも?



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