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馬車と落語

みなさんはじめまして。落語家の月亭太遊ともうします。
上方の新作落語家です。
そしていまは九州の大分県の牧場で働いて、たまに落語をしています。今月五月頭には馬車の馭者(運転手さん)と馬車に乗り込んで落語をするというイベントを行ったところです。

なぜそのような活動をしているかということについて、今回は書いてみようと思います。

話は今年の年明け、「馬車で落語をしませんか?」というオファーを大分県竹田市でセラピーホースの牧場などを運営されている「ゆれる」の小笠原順子さんにお声がけいただいたことから始まります。

小笠原さんが代表をつとめる「ゆれる」が竹田市の城下町で行った馬車イベントのことを
Facebookで繋がっていたので興味をもっていたし、そのとき映画「れいわ一揆」を観て「馬ってすごいんだなぁ」と考えていたこと、自分でもリヤカー式の落語用高座をつくり野外で落語をするため試行錯誤をしていたこと。などなどいろんなことが重なっていたこともあって二つ返事でお受けしました。

問題はその先で、僕もいろいろ馬やこれからの社会のことなど考えていたことを軽く小笠原さんにお伝えすると「うちで働きますか?」という話になり「暇なのでぜひ!」
2、3通のメールのやりとりで牧場で働くことになったのでした。

そして2月、本当は鳥取県の若桜町というところに一ヶ月ほどアーティストインレジデンス(滞在制作)でいくことになっていたのですが、このご時世ですから延期となり、一ヶ月前倒しで竹田市入りし、「ゆれる牧場」で働くことになったのでした。(実はこの時点では馬車イベントが決まっていたわけではなかったのだ)

正直深く考えずに飛び込んだ。農家の生まれだが牧場仕事など肉体労働を若い頃からまったくしたことない。落語家という孤独な職業だし、集団で働いたことはない。ないないづくしの中、牧場での暮らしがスタート。大分県竹田市にあるゆれる牧場に到着したのは夜遅く。満天の星空が輝いていたのを覚えています。

もちろんなめていたわけではないし、甘く見ていたわけでもないが、牧場での生活はなかなかしんどかった。まずはコロナ禍にあって2020年ほとんど家から出ずに過ごしていたし、馬に乗る、馬のお世話、牧場で働く仲間の分の料理つくり、芸人ではなく本名の自分としての働き、日報を書く、メッセンジャーでの細かい報告。本当に慣れないことばかりで家に帰ったら(その家も男三人暮らしだ)すぐに寝てしまう。

芸人としては野外での活動、地域での活動いろいろこなしてきたつもりだったが、芸人とかではなくただ働くという行為はしんどくもあり、幸せでもあった。ただひたすらに働くということは(しかも馬という命をまもるために)バランスを崩した自分を癒すことにも繋った。頭で考えずにただ夢中に目の前のことをやることで整う部分があるのは間違いないと思う。

そうこうしているうちに、牧場の馬車担当に任命していただき、ちょうどそのタイミングで竹田市の長湯温泉で馬車を走らせたいというお話をいただいた。
そのあとは馬車をひく馬ベルジャンホースのオスカくんのお世話と馬車の馭者をするための猛特訓の一ヶ月だった。

その辺はまた機会があれば書きたいと思うし、またいつか高座の上でもしゃべりたいと思う。
少し時間ができたのでこういう記事も書いているが、激動の3ヶ月間であった。
今後は、こういう記事を書いたり、文字のアウトプットをすると共に、
県内での次なる馬車の企画(もちろん感染が減ってからの話だが)、さらにその先の大きな目標、馬車の定期運行。自分の落語の活動。作品づくりなどなど。やることはたくさんある。

牧場での仕事というか、馬たちとそれを守る牧場の人々が生きていけるようにやっていきたい。自分にはまだまだやりたいことがあるがそれはおいおい書いていきたいと思う。

落語家 兼 馭者 月亭太遊


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