最悪のバッドトリップ体験
大学4回生、卒業間近。
僕はdxmでのバッドトリップを体験した。
dxm(デキストロメトルファン)は、海外で流行ったとかなんとか。
咳を鎮めたりする等の効果があって市販の風邪薬にも入ってる。
それを720mgと、360mgを時間を開けてグレープフルーツジュースで夕方ごろに摂取した。
その時僕はブロンにもハマっていた。
体が重くなる感覚。動こうとすれば気持ち悪いけどじっとして目を瞑っていれば何時間でもそこにいれるフワフワとした感覚。
新たにdxmというものを知った僕はドラッグストアで風邪薬を買い、一箱を全て飲んだ。
そこからが地獄だった。
エアコンの室外機の音がずっと大音量で頭の中に響き渡るし、
壁を見ると黄色い点々が無数に踊っていた。
ジェットコースターみたいに振り回されて
想像したようなトリップではなくて
その体験に抗おうとした。
残っていた自我と理性がこのままではダメだと危険信号を出した。
そこからが地獄だった。
頭で考えた言葉がうまく声にならない。
一文字ずつ遅れて声になる、例えば「ありがとう」と言おうとすると、
脳内で「ありがとう」と言えたつもりが、「りがとう」で口の形が流れて行き声は「ありがとう」と発生される。
だから言葉が出ない。
友達に電話をした、助けてほしいと。
友達はまたブロンを飲みすぎたのだと思い、「やめときなよ〜」くらいで切れた。
すると弟がやってきた。
弟は僕がシャブでもやったのかと思い、かなりショックな顔をしていた。
「兄貴が薬物でおかしくなった」
泣きそうな顔でドアの前に立っていた。
僕は必死に風邪薬を飲みすぎて辛いことを伝える。
すると弟は安心した表情で冷蔵庫から水をたくさん持ってきてくれて
飲んで、その後に吐いてみようと提案してくれた。
トイレに顔を突っ込んで、吐いた。
目を閉じるとその気持ち悪い世界にトリップする
はっと気づいて目を開けるとトイレの溜水がすぐ目の前にある。
辛くてまた目を瞑るとトリップする。
それを繰り返し続けて、最終は救急車で運ばれた。
母親もやってきた。弟が呼んだのか。
救急隊員に「俺は大丈夫なのか」と拙い言葉で何度も聞いた。
けど救急隊員には伝わっていない、発する言語も日本語の原型を留めていないことが自分でもわかった。
死なない事はなんとなく確心した。
けれどこのまま障害が残ると不安になってまたパニックになった。
dxmの体験談で出てきた、
「万物が自分を歓迎してる感覚」
「日の光が輝いて祝福されている感覚」
「音楽がとてもよく聞こえる」
そんなものはなかった。
僕には幻覚剤は合わないんだと思った。
救急車の中に母親と弟がいた。
弟は手を握ってずっと大丈夫だと、言ってくれていた。
母親は悲しい顔で俯いていた。
ちなみに僕の両親はとても良い両親だ。
勝手に病んで、勝手にその道を見つけて足を踏み入れたのは僕だ。
母親を悲しませてしまった。辛かった。1番それが。
多分、何度も「こんな息子になってしまったのは私の責任だ」と思わせたかもしれない。
家族には謝罪と感謝をしてもしきれない。
僕は立派な大人になって
「こんな息子に育ってくれて幸せだ」
と思わせたい気持ちがある。
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