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にぶんのいち夫婦

という漫画を読みました。
なんだか私たち夫婦みたいだなって思って涙が出ました

いや、浮気とか女に嵌められてたとかそういうことは私たちの間には全然ないんだけど、嫌だなと思うことを口にできない私と、理想でありたい夫っていう関係図がとても似てるなーって。

この前初めて夫くんは疲れるとつけはなすみたいな言い方するって指摘してみた。
気づいてなかったと言われた。気づいてなかったと言われたいんじゃなくて、傷つけてごめんって言われたかった。

写真のことだって、家に持ってきた理由が捨てたら呪われそうだから、自分でも気づいてなかったけどケジメが付けられてなかった、捨てるといわれた。私がきっかけとなって捨てるという行為は阻止できたけど、本当は捨てて欲しかった。でも捨てても欲しくなかった。
私と新たに一緒に暮らす家に、あの写真を持ってきているという事実が私を縛り付けて離さないんだよ。彼女が見るかもしれないし新居になるんだから持って行かないという考えに至らなかったという、私を大切にするという考えへの浅さが私を傷つけているんだよ……
私は、他人の考えっていうのは言葉にしないと分からないというのを理解しているからと言って、根本の感情を話したくないってブレーキかけてしまう。
バレーを習っていた時も、辞めたいんだとコーチに行った時私はちゃんと1番底の本心は話せなかった気がする。キャプテンはしたくなかった。なぜなら私はバレーが下手くそだったから。下手なのに6年生が一人しかいないからって皆に偉そうに指示して先陣をきって行動しなければならないキャプテンをやらなければいけない状況に耐えられなかった。
それなら上手くなればいいじゃん!と言う気持ちにシフトできないほどに自分にはバレーの才能がないと思い込んでしまっていた。今思えばそんなことは無かっのたかも。

底の底、根本の本心を話すことに臆病な性格ってどうやったら直せるのかな。本心の本心を話した時の他人の反応がずっと怖い、本心を傷つけられたら立ち直れない気がするから怖い、そんな人生を今もずっと送ってる。それはやっぱり自己肯定感がないからなのかもしれない。
自分を褒められてもそれが本心だと信用出来ていない。もちろん嬉しいしありがとうって思いもすると同時に、私はそんなできた人間じゃないと思ってしまうんだよね

その私にとって、刀ミュを観てると凄く救われる。
そのままでいい、今を生きてくれてありがとう。コンテンツは変わることなくここにあるからいつでも帰ってきてね、それぞれ人生頑張っていこうね、そう言われている気持ちになれる。
今日も刀ミュオタクから逃げられそうにない。LIVECDを聴きながらそう思う私なのでした。

PS
この記事書いてる時思い出し泣きしてたんだけど、刀ミュで感動して泣いてるんだと勘違いされたけどそのままそういうことにしといた。
ありがとう、利用してごめんね、刀ミュ

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