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武人の語り場(4):みんみんぜみ様

梧桐です。クマ月クマ日クマ曜日、いかがお過ごしでしょうか。

武道・武術・格闘技に関わる人たちに話を聞かせてもらうという企画、今回は第4回です。

今回は武道武術の歴史に詳しいみんみんぜみさん(以下、せみさん)においでいただきました。

せみさんは現在は定期的には武術をされておらず、また歴史学の研究者でもないものの、武術に関する熱心な調査と意欲的な考察で、界隈では博覧強記として知られるツイッタラーでもあります。以下のWebサイトでも、その膨大な知見の一部を読むことができます。

今回は強くなるためというよりも、歴史的、文化的な側面から武術へ関心のあるせみさんに、経歴と普段の活動、お考えなどをうかがってみました。

第4回: みんみんぜみ 様

――どうもこんばんは。お時間をいただきましてありがとうございます。

せみ:こんばんは。なんで突然ヨワヨワ武勇伝が必要になったんですか?(笑)

――いえ、そういうわけではなく、武道武術にいろいろな楽しみ方があるということを幅広く紹介したいと思っておりまして。単に強くなりたい、格好よく戦いたいというだけでなく、歴史的な側面から関心を持たれている方から取材したいということですね。

せみ:そうでしたか。それではTwitterで書いてる程度のことでしたら。

――いえ、むしろそんなに剣呑でなくていいです。

せみ:えー(笑)

■これまでの武術とのかかわり

――ともかく全員にお聞きしているのですが、まず経歴からうかがえますか。

せみ:特段面白い話はないですよ(笑)。もともと人並みに忍者が好きだったところに、中学校で友人から拳児を進められて中国武術や古武道を知りました。あとは本屋に骨法の本があったのを立ち読みしてカニ歩きとか徹しとか友達とまねて遊んだりしたり。それから中学~高校時代にかけて市立図書館で島津兼治先生の『甲胄拳法柳生心眼流』や松田隆智先生の『謎の拳法を求めて』、佐川幸義先生について書いた木村達雄先生の『透明な力』なんかがあったので、あれこれと読んで興味がわきました。

そのころ実際に格闘技や武術に関わったのは、十代後半に中国武術を教えているところに見学に行ったくらいしかありません。ここはどうも『鉄砂掌』を書かれた竜清剛先生関係か、『中国拳法戦闘法』を書かれた具一寿先生の教室のどちらかだったようです。まわりに柔道以外の武道をやっている人が皆無だったので、道場や教室に通うというのは敷居が高かった記憶があります。一番熱心にやったのは合気道です。

――名門、阿部醒石先生のお弟子さんですものね。こちらについては後程お伺いしたく思います。

せみ:はい。合気道も大学の部活で6年くらい学ばせていただいただけの部員ですけどね。そのほかは古武道某流派に入門、途中休みつつ二年くらい通って、ほかには当時まだ珍しかった総合系の技術をやっているところに少し通ってみたりしました。あとは太気拳ですね。

それから功朗法の初心者セミナーだとか、2chで有名になった合気道の先生、和歌山や大阪で活動されていた身体・武道系の先生の教室にも体験に行っています。この時期、甲野先生の講座やセミナーで光岡先生の講習会なんかにも行きました。

関西にいた最後の年には、京都で活動されていた同年代で糸東流系統の独自武道の先生と、合気道部関係で知り合い、その方のところに何度か通って伊藤式胴体力や韓氏意拳なんかを指導してもらっています。ほかには療術的なことをやってみたかったので、京都でやっていた操体の教室に通ったりもしました。

――いやはや、なんとも積極的ですね!

せみ:どうでしょうね。振り返ってみるとあっちこっちふらふらしていますね。就職後は胴体力の教室に行ってみたり、古流空手・棒術の体験に行ったり、杖道や大東流の道場や近所の合気道教室にも行ってみたりしましたけど、ともかく仕事が忙しかったのと家庭の事情やらで数か月以上続けて通えた道場がありません。

その後は、十年ほど前に縁あって今の肥後新陰流を学んでおり、その流派の調査過程で同流別派の先生にも師事しています。

■合気道について

――合気道は日本武道の中では試合もなく有用性についての意見も様々ですが、まずせみさんにとっての合気道はどのようなものであったかを教えていただけますか。

せみ:合気道の最初の印象としては、習っていた古武道の先生が植芝先生に教わっていたことがあったり、合気道を褒めていたので、特段弱いとは思ってはいなかったです。ただ部活に入ってからは、先輩から開祖(※1)のビデオを見て仲間と爆笑したりしていました。触れずに投げたりとか、そういうのですね。

見せてくれた先輩も「開祖のビデオやからどんなすごいんだろうと期待に満ちて再生するやろ。そしたらこれやで、どうしたらええねん」と言っていたので、合気道部では恒例行事っぽかったです。

※1 合気道の創始者、植芝盛平の合気道界における敬称。

――まあ、合気道の動画を見て、すぐにこりゃすげえ最強だと信じられるかっていうと、難しい時もありますよね。ではせみさんとしては、植芝先生は達人としてふさわしいとお考えでしょうか?

せみ:達人というのが、たとえば刃牙のようなマンガとかにおける意味とすると、それはもちろん違いますけど、実績からいえば間違いなく達人の一人じゃないでしょうか。多くの人を納得させていますし、戦前の教本や初期のお弟子さんの技が合理的だとは思います。

また、単なる柔術ではなく、もっと思想的というか、万物に通用するようなものを目指していたところも優れているなとは思います。植芝開祖は合気道を単なる柔術、武術以上のものにしようとして、実際ある程度実現しているところが単なる武道家ではないところだと思っています。

――それは人間の構造に従って技ができている、ということでしょうか? それとも、社会生活を営む上での道徳や運動として機能するとか、たとえば大本教(※2)とか思想関係に通じるという意味ですか?

※ 神道系新宗教団体大本の通称。植芝盛平はこの宗教の二大教祖の一人出口王仁三郎の側近だった。

せみ:一つずつ行きますが、まず技術としては、強くなるという意味ではなく、技がかかるという意味であれば、八光流柔術とかと同じで、習ったらそのまま使えるとは思うのですが、なんだか難解なイメージになっている気がします。

そして思想という意味では、もっと普遍的な事を話していると思います。ただ、大本や神道用語で説明しているのわかりにくいですね。戦前に執筆された『武道練習』や『武道』は戦争を例に説明していたりして比較的わかりやすいのですが。このあたりは、十数年前の2ちゃんねるの合気道関係で良くも悪くも色々な意味で活躍されていた元龍貴先生の説明がわかりやすと思います。

合気道の原理的な入身・転換だとかあわせは、使ったからその分野で成功するとか上達するとかそういう話では無いですけども、技術的な面でも道徳的な面でも意味があると思います。

――理解しました。おっしゃる範囲であれば、たしかに信頼できるものと感じますね。

せみ:そうですね。そんなわけで、合気道の技についてはそれほど懐疑的ではなくなりました。うちの部は開祖が住んでいた岩間の斎藤守弘先生のところで合宿するという伝統があって、そこに行った先輩方の技に合理的な説得力があること、道場にいる岩間に長いこと通っている先生の技がしっかりとした論理的な技術であること、武器と体術の関係が面白いこと、などもあり、伝統的な合気道の技は優れていて、また面白いと思っています。

――なるほど。本題からはずれますが、少し、阿部先生との思い出もいただければ。

せみ:道場で阿部先生が指導される日には、非常にちいさな動きで相手を固めて崩す(倒す)ような技をかならずやっていました。それも傍から見ると実力を疑問視されることはありましたけどね。新入生の中にはよくわからないで、先生が技をかける前に自分から転がって、「まだかけてない!」と怒られたりする人もいました。

もちろん開祖から十段といわれた阿部先生ですから、すごいなと思ったことはあります。昇級試験の乱取で私が受けに入っていた時に、取りの技がよくなかったので見本を見せてくださったことがあります。近くにいた私が呼ばれて受けとして正面打ちを先生に打ちこんだのですが、正面打ちを受け止めた腕が金属の棒を打ったみたいな感じで、かなり異質な感じがしました。あんな腕は阿部先生以外では感じたことが無いです。

――引き締まった体ということですか?

せみ:いいえ、当時の阿部先生の腕は太くはなかったです。皮が緩んでいて、諸手取した際に握りしめても皮がゆるむので、先輩なんかは鳥の皮みたいだとかいってました(笑)。若いころはかなり鍛えてらしたらしく、部室に五十代くらいの先生の演武写真がありましたけど、かなりごつい感じでしたが。驚いたのは受け止められた瞬間の感覚という意味ですね。

――興味深い話ですね。ただ私としては阿部先生の実力も興味があるところですが、今回はどちらかというと武術の歴史関係を取り上げたいので、そちらはこの辺で。ところで先ほど乱取りという言葉が出ましたが、合気道は試合形式の稽古はしないと思っていましたが。

せみ:空手や柔道のような試合形式の稽古ではないですね。ある程度種類の決まった攻撃をランダムに仕掛けてくるのをさばいていく稽古です。受けの数は一人~数人まで色々です。

やらない道場も結構あるようですが、習っていた古武道でも昔は似たような稽古をしていたと聞きましたし、他の古流柔術でも同じような稽古をしていた話を聞きますから、江戸時代~昭和初期にはあんがい色々な流派で行われていた稽古なのかもしれません。

■武道の歴史への関心と観点

――ここからが本題なのですが、まず武道・武術史へ関心を持った動機のところからいただけますか。

せみ:元々おたくなので、本は好きで色々読んでました。オウム事件やトンデモ本の世界、大槻ケンヂの格闘技関係の本とかで基本的に批判的・穿った見方が身についてしまったので、武道を始めたころから達人話や逸話はどれも眉唾で見ていました。若いころは古武道関係の一般的な本や、秘伝などの雑誌を読んではいましたけども、どちらかといえばそのころは技の方に興味がありました。

合気道や古流の達人の話を聞いても「ほんとかいな」と思っていたので、じゃぁ、達人の技は実際はどうなんだ、例えば合気道なら植芝開祖の技は明らかに怪しいけど、あれだけ多くの弟子や、軍隊関係なんかで教えられていた理由はなんだ?と思って故・スタンレー・プラニン(Stanley Pranin)さんが書いた合気道関連の書籍を読んだのが歴史に触れだしたはじめです。

直接的な武道史の興味の原点は、まずは『季刊合気ニュース』に連載されていた高橋賢先生の大東流合気柔術の歴史である『大東流合気武術史初考』です。

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