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NEOBOYの生い立ち

こんにちは!NEOBOYです!
今日は僕の生い立ちについてお話ししていこうかと思っております!
どんな人かまだ知らなかったですもんね?笑
今日はそれを皆さんにお伝えしていきます!!


生まれた場所

僕は1995年10月13日生まれ。
奈良県の橿原市という場所で生まれました。
兄弟はお姉ちゃんが1人の2人兄弟です!!
早速なんですがまずお母さんに虐待を受けます。
正直物心がついた時には離婚していたので
お母さんの顔は今でも思い出せません。
ただ押入れにお姉ちゃんと2人で閉じ込められてた記憶は今でも鮮明に覚えています。

暗くてなにも見えない。
ただただ怖くて泣き叫んでいた記憶。

そこでお父さんが帰ってきて、助けてくれましたがお母さんはこいつらがうるさいから悪い。
そう言って僕とお姉ちゃんを怒鳴りつけてました。

そんなこんなで僕が1歳ぐらいの頃に離婚。
お父さんの実家に引っ越すことになりました。

お父さんは仕事をしているので昼間はおばあちゃんとおじいちゃんが面倒を見てくれる事に。
僕は昔から人見知りで実家に来た時、全くなにも話さなかったそうです。笑

おばあちゃんが
『この子口ついてるんか?』って言ったほどだそうです。笑
今ではなんでも話せる仲です。笑

お父さんももちろん大好きですが、
僕はおじいちゃんとおばあちゃんが両親の代わりをしてくれたのでしっかり愛情をもらって育ちました!

小学生に上がった頃、おじいちゃんは野球が大好きで僕にグローブを買ってくれました!!
そこから毎日家の前でキャッチボールをするようになりました。
今思えば、おじいちゃんは絶対に野球を習ってほしかったと思います。笑

サッカーとの出会い

僕は昔からスポーツが大好きで
小学1年から極真空手、小学4年からサッカーを習わせてもらいました!
特にサッカーは大好きで高校3年生までずっとやっていたスポーツです!

ちなみにサッカーはスカウトされて入りました。
放課後いつものように友達とグラウンドでサッカーをしていると、地元のサッカーチームの監督が僕たちの方をずっと見てました。
僕はその時、あの人めっちゃ見てくるな。
と思ってました。笑
僕らの小学校が放課後サッカーチームの練習場になっていたので、練習が始まるまでは毎日遊びでサッカーをしていました。
そして始まりそうだったので引き上げて帰ろうとしていたら監督が

チームに入らへんか?
君や!帰って親御さんに聞いてみて!

と言ってかんたんな資料などをもらいました。
友達も居ましたが僕にだけ声をかけてくれました。

元々好きでやっていたので僕は嬉しくて
帰ってすぐにおばあちゃんとおじいちゃんに話をしました。
やりたいならやってみたら?
そう言ってくれました。

グローブまで買ってくれたおじいちゃんは
サッカーなんかまるで興味がないと言っていましたが。笑

それでも毎週末の試合はコソッと見に来てくれていたのを僕は知ってました!
学校の外のフェンスからずっと試合を見てくれていました。
僕はそんなおじいちゃんが大好きです。

人生1回目の挫折

そんなこんなでサッカーを続けていると、
中学の時には県代表まで選ばれる嬉しい事が。
僕はこの頃まで本気でプロになりたい。
そう思っていましたが、中学3年生の最後に
県代表同士が集まる大会に参加する事になりました。
この大会は長友選手や岡崎選手も出た大会らしく、全国から上手い人たちだけが集まるすごい大会でした。

僕はまだこの時自信しかなかったですが、
その自信は一瞬にして砕けちりました。。。
これが人生1回目の挫折です。

バケモノみたいに自分よりうまい人がゴロゴロといました。。
その時に実感しました。
プロにはこういう人たちが行くんだと。
自分じゃない。

高校も決まってましたが、僕は高3まではちゃんと続けるけど卒業したら働く。
そう決めて高校3年間は過ごしました。
案の定プロから声がかかることもなく、
僕は9年間という長いようで短いサッカー人生に終止符を打ちました。
強豪と呼ばれるような学校ではないですが、中高キャプテンを務めさせてもらいました。

卒業後はアパレルの道へ

そして卒業後はもともと服に興味があり、アパレル店員になりたいと思ってました。

みんなが高校3年の時に、就活や進学の面接を練習している時に僕はなにもしませんでした。

アパレルという職業はどうやらアルバイトスタートのところがほとんど。
事務所だったり企画の部署に入るなら服飾学科卒業が義務だったり。
大学なんて行く余裕うちにはなかった。
親には迷惑もかけたくなかったので卒業後は大阪のアパレルショップにて働く事に決めました!

ここではまた試練が待ち受けていました。
入った会社はとても厳しく、試用期間のうちに目標売上を達成出来なければクビ。

アパレル経験未経験、学生時代はずっとサッカーをしていたので社会経験もゼロ。
そんなやつが受かるはずもない。

案の定達成できず、ぼくはその会社を1ヶ月で辞めることになりました。

初めての社会人、こんなにも厳しいものなのか。

サッカーでは中高キャプテンも務めて、こんなに苦しい事なんかなにもない。
これからの人生楽勝で乗り切っていけるはずだ。
そう思っていた僕にいきなり落とし穴が待ってました。
サッカーとはまた別の苦しみを味わいました。

でも嬉しい事も同時に待ってました。
僕が働いていた場所は商業施設の中で
たまたま向かいの店舗の店長と話す機会があり、
どうやら僕を雇いたい。
そう言っていただけました。
今でもその方とは縁があり、ずっと良くしてもらっています。

アパレル人生はそこからスタートしました!!
その方には今でも本当に感謝しております。

まだまだ波乱の人生は続いていくんですけどね。笑

そこで1年働いたんですが、経営不振により店舗閉店。
僕はそのタイミングでその会社は辞める事になりました。

わずか1年で、、、
やっとアパレルという職業が分かってきた頃に
閉店なんて、、、
神様はなんて意地悪なんだ。

でも下を向いてるひまはない。
そう思い、また1から働きたい店舗を探して
今の店舗に辿り着きました!

1年で必ず社員になる。
そう心に決め僕は週6で休みは1日だけという
フルシフトを1年続けました!
そして1年で本当に社員になれました!

ただその間もアルバイトなので、休んだら給料が無くなる。
一人暮らしをしていたので休んでいる暇はないと思い、風邪だろうが胃腸炎だろうがインフルだろうが行ってました。笑

今それを言えば怒られると思いますが。。笑
ですが僕はそれほど命をかけて生活していました。笑

昼ごはんは近くにあったやよい軒でご飯3杯以上おかわりしたり。笑
完全にこじきでした。笑
でもそれぐらい本気でアパレルという職業と向き合っていました。

理由は服が好き。

それだけです。

よく世間一般ではアパレルは給料が低い。
と言われる業界です。

その時僕はアルバイトで時給が900円ほどでした。
今は大阪の最低賃金が1064円。
(地域によって異なります)
900円で毎月どんなにフルで入っても18万ほどでした。

それでも頑張れたのは服が好きだった。
自分にはこれしかないと思ったからです。

サッカーを辞めて僕は燃え尽き症候群になりました。
小学生からサッカーしかしてこなかった人生。
サッカーより夢中になれるものなんかこの先あるのだろうか。
そう思いながらふと雑誌を見るとそこには
かっこいい人がかっこいい服を来て写真を撮っている。
僕もこんなふうになりたい。
そう思ったのがキッカケでした。

今でもそうなれてるかはわかりませんが。笑
今現在の僕がこんな感じです。笑

かなりイキってます。笑
友達にはおしゃれやなとか色々言ってもらえるようにもなり、服選んでなどめっちゃ言われる事が増えました。

アパレルやっていて本当に良かったと心から思います。

おじいちゃんの死

僕が25歳の頃おじいちゃんはガンでこの世を去りました。
この出来事は僕の人生の中でもかなり悲しい出来事でした。
お父さんの代わりをやってくれていたのがおじいちゃんだったからです。
僕は3日間、泣いて泣いて泣き叫んでました。笑
亡くなった夜、お通夜、お葬式。
おばあちゃんにあんたいつまで泣いてんの?
と言われるぐらいです。
でもそんなおばあちゃんを見ると余計に辛く
涙が止まりませんでした。

おばあちゃんが1番辛いはずやのに。
好きになって家族になって最愛の人が亡くなる
ってどんなに辛いことなんやろって。
めちゃくちゃ考えました。

おじいちゃんは僕が小学生の頃、すい臓ガンで一度手術をして、すい臓が半分ない状態でした。
それでもなんとか回復して、何年も何事もなく過ごしていた中での再発。

おじいちゃんはヘビースモーカーで大のタバコ好き。
もちろんそれが良くなかったみたいで医者は何度も止めてきました。
ガンなのに夜中こっそり抜けて、病院の近くの公園までタバコを吸いに行ったりしていたそうです。

医者は絶対にダメ。

そして家族会議が開かれる事になりました。
どうやら余命もあと数ヶ月。
最後ぐらい好きな事を全力でやらせてあげたい。
好きなものを取り上げたくない。
家族の意見はそれで一致しました。

そして医者にそれを伝えたところ
わかりました。
ではもうなにも言いません。

そう言ってくれました。

おじいちゃんは死ぬ寸前までずっとタバコをくわえていたのを今でも鮮明に思いだします。

僕の大好きなおじいちゃん。
男らしくて僕に色々教えてくれた最高のおじいちゃん。
数日間は立ち直る事ができずとても辛い気持ちでしたがそんなんではおじいちゃんに笑われる。
そう思い、おじいちゃんの分まで頑張るんだ!
そう決めて僕はおじいちゃんが吸っていたタバコの銘柄をタトゥーにして入れました。
今でも僕の中では最高のおじいちゃんです。

最後に

僕が言えることはなんにもありませんが
最後に一つだけ。

結果が出なくても諦めないでください。
最後には必ず結果がついてきます。
本気でぶつかっていれば必ずついてきます。

ですから自分が心から好きなものに精一杯
打ち込んでください。

これが僕から言えるたった一つのことです。
僕は本田圭佑さんが大好きで、本田さんが言っていたセリフでとても好きな言葉があります。

『努力して100%成功するとは言いません。
けど努力した時に人は必ず成長している』

この言葉が大好きです。

『成功に囚われるな、成長に囚われろ』

夢を笑ってくる人なんて大勢います。
ですが自分のためだと思ってたくさん努力してください。
きっと自分のためになるはずです。

僕も皆さんに偉そうなことを言っている立場なのでもっと頑張ります。笑

せっかく一度きりの人生、楽しくいきましょう!!

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