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コンビニ飯

どうも、相変わらずの低頻度更新でございますネオ香川でございます。
あれですね、時間が経つのがいやにはえぇんすよね。
堪らん堪らん。
とて、焦る気持ちはそんなにないんですがね。
のんびりやってこうかってわけで、タイトルの通り、コンビニ飯について思いを馳せつつ書いていきたいと思います。

忙しい日々に頼れる味方、コンビニのおにぎりと串刺しの唐揚げ

さて。
あれなんすよ、最近ほんと忙しくてですね。
日々の生活にわりとこだわりを持っていた私なのですが、最近はめっきりというか、こだわる余裕を失ってしまってますね。
具体的に言うと料理をする気が起きなくなってしまってます。

ついでに整髪料をつける習慣もなくなってきています。

ちゃんと毎日お弁当を作って会社で食べて…なんて素朴で素敵なおひとり様生活を送っていたわけなんですけども、どうも最近はよくない、できない、作れない。
あまつさえ朝早く起きることさえ敵わない。
いよいよくそ雑魚さながらなんとやらってやつですね。

さりとて腹は減るんですよねぇ。
空腹がなければもう少し出る腹も凹んだと思うのですが…。

さて、そんなこんなでちょいと迂回しましたけど、見出し通りの現実が現在の私の血となり肉となるわけです。
某ブンイレブンへ朝直行し、辛子明太子おにぎりとその他おにぎり(納豆巻きの率高め)、唐揚げを串刺しにしたものと珈琲を買ってから来社という流れがルーティンと化してきております。
また、珈琲どころじゃ脳が起きない日については某エナジードリンクを身体に注ぎ込みます。
脳まで届けカフェインよ、です。

今まではコンビニでその辺を買い漁った後に喫煙所へ行って10分ほど深呼吸してから出社するルーティンだったのですが、実は訳あってそのルーティンは脱したわけであります。
そちらに関してはまたいつか別の記事でお話できればなと思います。

いやいや、なんか普通に話が脱線してしまってますね。
たぶんあれですね、久し振りにこう、好きな文章を書いていることによってすらすらと、間延びした文章を書いてしまうのでしょうね。
お許しを。

さて、コンビニ飯。
上手いっすよね単純に。シンプルに。直線的に。真っ向から。

コンビニのおにぎり、特に辛子明太子おにぎりが大好きです。
時々少し値の張る焼き鯖とやらに浮気してしまうことはありますけども、とて必ず1つは買ってしまいます辛子明太子さん。
まさしく個人的ソウルフードであります。

なんだか腹が減ってきました。

こう、忙しい日々の助っ人的な位置としてコンビニ飯ってありますけど、そんな位置づけにするには勿体ないポテンシャルであると思うのですよね。
コンビニ飯でここまでの幸福感。
手軽に幸福をあなたへって感じでしょうか。

ただ一方でですね、忙しいからコンビニで済ませる(済ませるって言葉もなんだかすごいですよね食事で)って事実そのものに問題があるのではないかと感じる次第です。
です。

消極的食事

忙しいからコンビニで“済ます”。
食事をいつの間にかとらなきゃならんように感じてしまっているようです日本人。
海外でどうなのかは知らんけども。
どうやらわりと日本語として馴染んでしまっていますよね。
これほど受動的というか、楽しそうでない食事っていかがなものなんでしょうかね。

こう、書きながら少し思ったんですけど、済ます勢いで食べてはいるけれど、せめて美味しいものをって気持ちもあったりしますよね。
こう言っちゃあれですけど、あれだけ褒めておいてほんとあれなんですけども、私も時間とお金に余裕があれば別にコンビニで飯は食わんなと思いましたね。
すみません。

とにかく、こう、仕方なく選ぶ食事の怖さというか、仕方なくが続いてしまう日々そのものがやばいような気がしてならないのです。
一見飯も食べてるし健康的(?)なようで、毎日が妥協の連続だなんてどうも嫌ではありませんかね。
そんなことないですかね。
そんなこと言ってられないってのが実際のところでしょうけれど、ほんとせめて楽しみの時間ぐらいはゆとりを持ってしっかり楽しみたいところです。
私はそう思うんです。

実際、休みの日は外食に出たり、自炊して一喜一憂しているんです。
コンビニ飯を食べたい!と、能動的にコンビニ飯を求めることってあんまりないんですよね。
どうしても、コンビニでも良いから飯が食いたいといった感じで。

まぁただ、コンビニもだいぶ工夫されてますよね。
コンビニ限定商品を豊富に揃えたり。
あ、あとおでんはコンビニで食べたくなります。

書きながら考えるスタイルなので右往左往してしまってますが、あれですやっぱりコンビニ飯は良いっすね、質も高く限定品もありますし、手頃にデザートも買えちゃいます。
問題はやはり“日々の妥協の連続”にあると私は考えます。
さあ、日々の妥協について書いていきましょうかね。

日々の生活の妥協点について

さて、コンビニ飯の話をタイトルにしてこのような見出しは如何なものかと思わなくもないですけども。
“日々の生活の妥協点”について考えていきたいと思います。

読者の皆々様(貴様ら)は、毎日の生活の中で、妥協しなきゃな〜って思うことありますか?
私は結構あります。
…結構あります。

朝食はちゃんと自宅でとってから出勤したいのですが、出先の、特別食べたいってことでもなくコンビニで済ましています。
妥協です。

不満をたっぷり背負って仕事から帰ってきて、居酒屋にでも駆け込んで一杯やって精神ロンダリングを図るも時間と金銭を鑑みてコンビニの缶ビールで我慢します。
妥協です。

他にも色々ありそうですが取り敢えずこんだけ。
些細なことですが、こういう妥協が積み重なっていくことにより日々に彩りが失われていき、“済ます”日々に成り果ててきているのではないでしょうか。
考えすぎっすかね。
はい。

さいごに

落とし所を見失ってましたけども、そろそろこのテーマで書くことに飽きてきましたので終わらせようと思います。

極端な言い方になりますが、日々の妥協の積み重ねは生活習慣病のごとく少しずつ罹患者を蝕んでいくように感じております。
その結果として生じる現症については各自で勝手に考えていただくこととして、とにかくこのような日々の妥協がなぜ、どのように発生しているのかを注目していくことにより社会の患う病の原因が少し見えてくるのではないかと睨んでいるのです。

では今度はあっさりと述べて終わりましょう。

妥協しがちな日々かもしれませんが、たまには水やりって気持ちで欲望に素直になってしまう方がいいんじゃないでしょうかね。
てなわけで、今日は酒をしこたま飲んでやりまっせ。
うぉう。

じゃあね。

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