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あなたはいつも、僕たちのロマンだった。


まだ小さかった頃、スタジアムに父親と行くのが好きだった。
バイクの後ろに乗って、国道を駆け抜けるとスタジアムがあった。どんなテーマパークよりも夢があった。かっこよさがあった。

ぼくの好きだったチームはあんまり強くなかった。身の丈に合っていないスタジアムと、いつもふざけてるサポーター。ピッチまでは遠いし、そもそも選手とかあまり知らないし。

父親の仕事の関係で、水曜の夜にしか行けないスタジアムの、なにが好きだったんだろう。不思議で仕方ない。

買ってもらったマッチデープログラムでメンバーの確認をすると、おじさんみたいな若手がいた。顔がおじさん。

フォーメーションの真ん中で外国人にパスを出すその選手にスタジアムは熱狂していた。
確かに、いいところばっかに出していた気がする。

かすかな記憶を辿るとそんなことを思い出す。

歳を重ねて、友達とスタジアムに行くようになった。
その選手は相変わらずいいところにパスを出していて、ぼくは熱狂していた。
ミドルシュートを打つ彼の姿はなかったが。

決して派手ではない身なりだけど、彼のプレーはそれはそれはかっこよかった。ベッカムみたいにイケメンじゃなかったけど、同じくらい上手かった。ぼくはそんな彼に夢をみていた。

彼を表すならロマンだと思う。みんないう。

「あいつは俺らのロマンなんだよ」

足がすごくはやくもないし、顔がかっこいいわけじゃないけど、ふてぶてしくピッチの真ん中に立ち、だれも予想しないところへ抜群のパスを出す。ロマンだ。虜になった。

気がついたらぼくらのロマンは世界に挑んでいた。北京オリンピック。いまや日本のシンボル的な選手がズラッと並ぶなかで、彼は10番を背負っていた。世界と戦うぼくらのロマンは、日本のロマンだった。


北京から帰ってくると、日本の10番はぼくたちの10番になった。順番逆だよな、普通。アカデミーからトップの10番。期待が膨らんだ。


彼にのしかかるプレッシャーはどれほどのものだっただろう。相次ぐ膝のケガで満足にプレーはできなかったはずだ。それでもサポーターの期待はおおきかった。だってあんなにワクワクする日本人選手がぼくらのチームにいるんですよ。

彼はすごかった。
苦しいシーズンもあったが、攻撃的サッカーの中心としてチームを牽引。外国人監督から愛され、クラブのキャプテンにも任命された。アカデミーから主将へ。そんな彼に転機が訪れた。

世界へ。

ギリシャの名門クラブからオファーが来た。少々のトラブルはあったものの無事契約。ぼくらの街の主将が世界へ。サポーターとして、こんなに誇らしいことはなかった。がんばれ、がんばれ。








移籍から半年、彼は日本に帰って来た。



そこからというもの、世間の評価がガラッと変わった。
ケガによる出場機会の減少で他のクラブに移籍した。ぼくを魅了した彼は、ぼくの大好きなクラブからいなくなった。そんな悲しいことがあるのかい。あんなに輝いていたじゃないか。振り返ってみると、この頃からだんだんスタジアムに行くことが減っていった。


週末はスタジアムにずっといたのに、他のことが楽しくなっていった。試合結果は気にしているけど、なんかこう、遠かったことを記憶している。


スタジアムから離れて1年後、大学2年生の今頃、携帯を開くと今日のスタメンのお知らせ。登録メンバーには、10番の文字。そう、帰ってきていたのだ。


相変わらずだった。
実に1年半ぶりの彼のファーストプレーは、アウトサイドにかかったスルーパスだった。スタジアムがどよめいた。あの時あの場所にいたひとしか感じられない彼の存在だった。興奮しまくったことを覚えている。なんて幸せな時間だっただろう。一緒にスタジアムで見ていた友達とやべぇやべぇ言い合っていたことをよく覚えている。その友達もまた、10番に魅了されたひとりだった。

その後、結果が出ることはなかった。
SNSでバッシングをうける姿はほんとうに悲しかった。自分のクラブの10番をリスペクトできないやつなんて…!! 




そして2度目の国内移籍先のクラブで、彼は選手生命に終わりを告げた。




予測ができない行動を引き起こす人に魅力を感じることがある。どういう発想でそんなパスがでるんだろう。そんな選手だった。

顔はおじさんみたいだし、シュートはフリーでも打たないし、意味のわからないところで凡ミスするし、そんな選手だった。

親父と観に行くときも、友達と観に行くときも、必ずアッと言わせるプレーをみせてくれた。ぼくをサッカーの虜にした。そんな選手だった。

無口な性格ゆえに時にサポーターから叩かれまくっていた。SNSでもトラブっていた。そんな選手だった。

それでもぼくらのロマンだった。世界を見せてくれた。世界と戦ってくれた。ぼくらは彼に夢をみた。そんな選手だった。

そんな選手が梶山陽平だった。


彼がどんなに愛されていたかなんて、ネットみれば明らかだ。みんなが彼に対しての気持ちを思い思いに発信している。みんな魅せられたのだ、梶山陽平に。

創造性溢れるプレーは変態だった。いい意味で。気持ち悪かった。いい意味で。そんな選手だった。彼のいなくなるJリーグは、寂しい。



あなたはいつも、僕たちのロマンだった。

梶山陽平選手、現役生活お疲れ様でした。





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