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留学日記#70 24.3.8.

 昼に日記をつけるのも悪くないと思う。けれど僕は好まない。なぜだろう。一日の全てを俯瞰することができないから? 逆にもし昼にも日記をつけるようになったら、と想像してみると、では朝目覚めてすぐに日記をつけることは可能か、だとかすぐさま思考が極端に走ってしまう。その書き方はあまりにも日記離れしているように思える。僕はおそらく日記に重きを置きすぎているのだ。そして日記をつけるにあたっては、僕とは全く別様のスタイルがあり得るのだろう。

 文章を書いていると、ごくごく稀に、自分の書いた文が透明になったかのような錯覚を覚えるときがある。たぶんその文は美しい。けれど透明な文を生み出せる瞬間はほんの一時に限られている。気づくと透明になっていて、いつの間にか凡庸な明朝体へと元通りになっている。これほどそこかしこで文を生み続けているというのに、透明さは僕の手中にはない。けれど僕はその陳腐さを受け入れている。たとえば日記をつけるというのはそういうことだ。とにかく書く。書きたいかどうかに関わらず書く。書く中で何かが生まれる。奇跡的にそれが一瞬、透き通ることがある。

 元より掃除は心掛けていたが、ここのところより一層部屋を清潔に保つようになった。定期的に床を掃いているので今や靴は履かず裸足で動いている。机の上もできるだけ片づけてある。今日は引き出しの中も整理した。何ならシャンプー、リンス、ボディソープもある程度の値段のものに新調したし、安物だがドライヤーも買った。端的に生活水準が上がっている。上げた、というより気づいたら上がっていた。すると自分自身について割くことのできる意識の割合も上がってくるし、思考がクリアになったかのような気分すらしてくる。早朝にWEBテストを受けていたら、Wi-Fiの影響で強制中断されてふてくされていたのだけど、やがて腰を上げてフランス語の勉強に手を付けることができた。部屋が汚かったら一日布団に籠っていたと思う。そんなことはないか。

サーディンのアラビアータ、赤ワイン仕込み

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