離婚後生活
島野和佳子は三十代になる今年、離婚した。
二十五の春に籍を入れたから、もう五年この生活だった。同棲はしておらず、入籍と同時に同じ家に暮らし始めた。
元旦那の高瀬洋平は一つ上の男だった。大学生の頃から一人暮らしをしており、家事には一通り困っていなかった。
離婚の原因は、よくあるようなものか分からないが、お互いに次のパートナーができてしまったというようなものだった。最も、三年を過ぎた夏頃には、食卓を一緒にすることもなくなっていた。お互いに仕事に追われてる分、外で遊ぶには充分な資金もあったからだろう。
四年目の結婚記念日には、一度離婚の話もした。お互いうまく話がまとまらず、逆に、まだやり直せるかもしれないと、淡い期待を抱いてしまった。きっと、それが良くなかっただろうし、だけどそれでよかった。
五年目の結婚記念日までに、少し戻った好きだった頃の感情と相手への不信感の間でラリーが続き、先に洋平が帯状疱疹になり、和佳子がその後突発性難聴になるなどした。
だから、五年目の結婚記念日前後は、冷戦終了の話し合い日となった。家具はどうするのか、この家は継続するのか、インコのきゅうりと、蛇のつくし、亀のピッコロはどうするのかと、どちらも虫の死骸を摘み上げるような嫌悪感と、慎重さを持ち合いながら、仕事の合間の夜を縫い合わせた。
キッチン周りは、和佳子の祖母からの結婚祝いで、
リビング周りは、洋平の叔父からの結婚祝いのものが多かったから、ドラフトするように見えて、少しのお互いのこだわりを除いて、実はすんなりと仕分けられていった。
困ったのは寝室で、二年目にとんでもなく寝心地のいいベッドを買った。睡眠は大事だと理解する2人だったから、キングサイズの、ここはラグジュアリーホテルなのではないかと思うくらいの、そんな手放したくない一級品だった。
だから、三年目からはおろか、離婚してなお二人は同じベッドで寝ていた。時折寝ぼけてお互いのことを抱きしめてしまうこともあったし、寂しい時に手を繋いでないと寝れないということに猛烈な悲壮感を感じていた。
きゅうりもつくしも飼いたいと言い出したのは和佳子だったが、面倒を見ているのは大半洋平だった。元々ピッコロを持ってきたのも洋平で、和佳子はそれを見ているのは楽しかった。
離婚届を市役所に出してから、3週間ほどして、夜を縫い合わせることはほとんどなくなった。
状況が変わったのは、洋平の方だった。長年セカンドパートナーとして君臨していた涼那の情緒が爆発した。せっかく離婚したのに、一緒に住んでるなんて別れる気がないのではないのかと会うたびに泣くようになった。それもそうだ。涼那は洋平の四つ下で、結婚適齢期と言われる頃。人生を真剣に考え始める頃。二十五から人のセカンドパートナーとして君臨し続けてるのもどうかと思うが、それでも涼那は洋平を離そうとしなかった。
洋平がこの家に残る理由は、会社までの道のりを含めた利便の良さと、もう二度と手を出したくないであろう値段のキングベッドだった。また、3匹のやつらもすぐに移動させてやれるような器用さは持ち合わせていなかった。
和佳子は心臓にゴリラ並みの毛が生えてると言われるほどだから、洋平や、涼那が何を言おうとも、自分のペースで物件を探したし、焦って出て行く気も、キングベッドをやすやすと譲る気もなかった。
そんな強さが、時に洋平の心に恐怖の影を落とし、儚さの残る涼那に逃げ込んだ。だが、その涼那がひたすら泣き続ける中洋平は、ペットの3匹のためと言いながら、和佳子との家に帰宅していた。
寿命かどうか分からないが、離婚して1ヶ月すぎた頃、きゅうりが死んだ。だから、洋平は引っ越しを決めた。だが、タイミングが悪かった。国の施策で、移民のために物件の大規模な借り上げが始まっており、涼那と、あとの2匹のペットを連れて簡単に移動できるような物件はすでになく、やれ築五十年やら、駅から三十分だの、会社で課長を勤め、部長に手が届きそう洋平には、許せない状況であった。
そんな状況を笑うように、離婚して3ヶ月の経たない頃、やっと和佳子の物件が決まった。キングサイズのベットもほとんどの家具も放棄すると決めたのだった。洋平と感情に狂った涼那がここで夜を過ごすと想像したら、面白くてたまらなくなってしまったからだ。
和佳子の収入は、世間では簡単には手の出ないマンションの審査を易々と通過し、引越しの閑散期だったこともあって、そこから1週間で引っ越した。
もう、家に帰っても、自分以外の誰かがいた気配は無い。ペットも家具も、めんどくさいものは全て置いてきた。唯一、祖母がくれたポータブルガスオーブンだけは、パンを時折焼くためのモチベーションとして一緒にこちらへ来た。
セカンドパートナーには、現住所は告げていない。何しろ、和佳子にとって、実はほとんど初めてと言える一人暮らしだからだ。誰にも邪魔をされない、自分だけの世界を保っておきたかったし、もう人と結婚したり、生活を共にすることは、和佳子にとって無駄と思えてしまうからだ。
廊下に絵を飾り、リビングに詩を飾る。芸術に疎い洋平が見たら、意識高そうで圧迫感があると言われそうだ。誰にも、言うことのない、隠れた趣味だった。
よく分からない、知名度もない、都心から少し離れた雑居ビルの一階で個展を開いている作家の、作品を買う。それも、とびきり値段を付けているものを。芸術家支援とか、そんな高尚な目的ではなく、たまたま時間潰しに入って個展がきっかけで、三年程続いている習慣だった。
本棚に入れた詩集を開く。
「資本主義は何も無い事を否定し、共産主義は虫ケラすらも称賛する」
きっと若い詩人が書いた詩だ。この世のことをまだ数ミリしか知らないのに、知ったように、言葉を連ねている。和佳子も心に少女を抱えながら、社会ではお母さんのような母性を演じる。
和佳子の一人暮らしは、少女が、自分だけの秘密基地を手に入れたような物だ。
離婚して二ヶ月が過ぎた頃には、涼那のくだらなさと、洋平の情けなさに、もはや気持ちの悪さを覚え、それが最終物件を決めるきっかけともなった。
あんなに恋焦がれた相手の顔も、今では嫌悪感すら覚える。和佳子のタイプの範疇ではあるが、たるんだ顔と、社会に擦られて死んだ目は、もうあの頃の輝きを失っていた。その歳の取り方も、余計に和佳子が失望を覚えるにはお釣りが来る物だった。
関係に終わりを告げる時、双方がそれを理解しなくても、もう同じ道を歩むことはできない。水と油が分離するように、元々は他人である人間が、妥協だけしながら人生を生きるなど、無理難題であり、現代社会では不必要なのであった。