見出し画像

駐在帯同「病みトリガー」を分析する(前編)

こんにちは、寧々です。

思いのたけを24時間つぶやいて個人アカウントを閉めようと思っていたのですが、最後、夜中に書きなぐったツイートに予想以上の反響があり、茉莉商店アカウントに切り替えるのを一時保留にしています。

自分の脳内整理のためにザっと書いたので、重要なポイントが抜け落ちています。あれだけ読むと恐怖でしかないですよね…ごめんなさい。

駐在帯同が悪いことばかりではない、ということをお伝えしたく、では病まないためにどうすれば良いか?を前編・後編に分けてまとめようと思います。

0.駐在帯同は悪いことばかりではない

これは一番にお伝えしたいです。
駐在帯同生活を振り返ると、良いこともたくさんありました。
日本にはない環境の中で刺激が多く、勉強すれば語学が身に付き、海外に友人ができ、子どもにじっくり向き合う時間もあります。

私の場合は育児に没頭しすぎて疲れてしまいましたが、もっと手抜きすれば楽しく過ごせたんじゃないかと思います。こうしなきゃ、ああしなきゃと、自分の首を自分で締めていた、という感じですね。やり方次第で楽に過ごせる方法はあります。

1.駐在帯同、自身の病み歴を振り返る

私の駐在帯同生活は結婚と同時に始まり、約9年、中国に滞在しました。
その間に3人の子育てをし、うち2人は現地出産になります。自分の精神状態のアップダウンは妊娠・出産・育児による環境変化と連動しているため、子育ての時系列でまとめてみようと思います。

2.子なし新婚時(駐在1年目)

病み度:☆☆☆☆☆(0)
駐在帯同で中国に住む前から、留学・仕事で中国滞在経験があったため、言語の心配は少なく土地勘もあり、1人で自由に動けるため、何のストレスもありませんでした。前職が激務だったので、解放感もあり伸び伸びしていました。

3.第一子妊娠中(駐在1年目)

病み度:★☆☆☆☆(1)
まもなく第一子を妊娠すると、つわりで体調が悪く寝たきりになりました。この時初めて中国の食べ物を受け付けなくなり、母国の味が恋しくなりましたが、つわりが収まるとケロッと元気になりました。身重でも自分の意思で動けるので、大学の語学クラスに通って他国の留学生と仲良くなり、学生気分でした。この時は体調が悪いだけで、気持ちは元気でした。

▼その時の記事です。

4.第一子出産と東日本大震災(駐在2年目)

病み度:★☆☆☆☆(1)
妊娠八ヶ月まで中国の病院で検診を受け、日本で里帰り出産しました。実家に助けられて心穏やかに過ごす中、突然あの大地震が来たのです。原発次第で海外との行き来も難しくなるのでは?という懸念もあったため、早めに中国に戻ることになりました。あの震災以降、家族はどんな時も一緒にいるべきだと強く思うようになり、その後は現地出産を選びました。
産後の疲れ、震災の心労はあったものの、気持ちは前向きでした。

5.第一子の子育て(駐在2~3年目)

病み度:★☆☆☆☆(1)
日本から中国に戻り、親子3人での新生活がスタート。当時25歳で体力十分、初めての海外育児!という意気込みもあり、楽しく過ごせていたと思います。赤ちゃん期はとてもよく眠る子で、ベビーカーで寝かせて公園を散歩してお年寄りのダンスを興味深く眺めたりしていました。

また、mixi経由(!)で日本人ママさんとも知り合い、徐々にお友達ができランチしたり、交友関係も広がっていきました。海外育児を心から楽しんでいたのは、この頃がピークです。ここで帰国していれば良い思い出だけだったかもな…と今は思います。

6.第二子妊娠+2歳ワンオペ育児(駐在3~4年目)

病み度:★★★★★(5)
第一子の海外育児が上手くいっていたので、迷わず二人目を考えました。しかし、第二子を妊娠後、病みゲージは一気に「5」へ。一体何が起こったのか、もはや辛すぎて記憶があいまいです。

2人目は、切迫流産の危険があると言われていました。何が起こるかわからない、これが妊娠の怖いところですね。絶対安静なところに、元気いっぱいの2歳児を1人で面倒見なければならず、にっちもさっちもいかないので緊急帰国しました。ここで初めて「マジで身動きがとれない辛さ」を経験したのです。実家に到着して、心からほっとしました。

あの震災以降、絶対に家族離れ離れにならないと決めていたので、安定期には中国に戻り、現地出産のための準備を始めました。VIP病棟といえどローカル病院なので、日本での出産に比べると色々大変です。

▼その時の記事です

そんな中、赤ちゃん期は手のかからなかった長女が、急に個性を発揮し始め、手がかかりまくる2歳児へと変貌したのです。これも予想以上の大変さでした。

お腹が大きい状態で、手のかかる2歳児を抱えていると、歩いて10分のスーパーに行くにも、公園に行くにもフルマラソン気分

さらに夫はより重要な役を任され、月の半分が出張、残業、休日出勤、飲み会…と、育児が辛いピークタイムにほぼ不在状態。長女が夫に懐かないこともあり、あえて家から遠のいている感もありました。意思疎通ままなりません。

この孤独な妊娠期間+2歳児育児で、疲れがどっと出たのでしょう。毎日生きるのに精一杯で、ママ友と会う気にもなりませんでした。

病みトリガーは「妊娠の不安・体調不良」「手のかかる2歳児」「ワンオペ育児」「海外生活の疲労が出始める時期」
のコンボでしょう。この状態への改善方法は後編で書きます。

7.第二子出産+2歳育児+シッター(駐在4年目)

病み度:★★★★☆(4)
2人目はローカル病院で生まれました。夫は出張中だったので出産時も1人です。ちなみに検診も2歳連れて1人で通っていたので、虚しさを通り越して「なんだか私、強いんじゃない?!」と、妙な前向き精神が芽生えていました。もう夫に頼ってメソメソしねぇぞ、という気概がありました。こうして子を産み強くなっていくんですね。身体が軽くなったことも大きいです。

産後は実母を呼ばず、夫に育休を…も無理なので、産後から赤ちゃんが少し大きくなるまでシッターさんをお願いすることにしました。

この選択が大、大、大正解。
妊娠中からお願いすれば良かった、と後悔しました。

そんなわけで、生活周りの強力サポーターができ、話し相手にもなってくれるので、気持ちの面ではだいぶ回復したと思います

ただ、育児と関係ないのですが、産後まもない時期は大気汚染がMAXひどく、ほぼ外に出られないストレスがありました。またマンションの上下階で長期工事しており、工事音が公害レベルにひどく苦痛だったので、★4つになっています。

ここでの病みトリガーは「海外生活特有のトラブル」「トラブル下での乳幼児育児」ですね。シッターさんのおかげでワンオペ育児のノイローゼ状態からは脱却できたかと思います。

8.0歳+3歳ワンオペ育児(駐在5年目)

病み度:★★★★★(5)
2人目が少し大きくなり、長女が幼稚園に入園したので、「シッターさんはもういらない」と判断しました。これが大間違い。病みゲージが再びMAXに。

「3歳になれば落ち着く」と多方面から聞き、それを信じて頑張ってきたのですが、3歳になっても落ち着くどころか、大変になる一方でした。子どもは実に多様で、一般論にあてはまりません。当時抱えていた問題はこちらの記事に。年齢それぞれの悩みが出てくるものですね。

▼子育ての悩みは、新たなステージへ突入

シッターさんがいなくなった後も相変わらず夫は忙しく、特に夕方以降のワンオペ2人育児が辛かった記憶。

駐在5年目。仲の良かったママ友も徐々に帰国し取り残される気分。新たに友達を作ろうにも、1年目の方とはテンションが違うし、なかなか上手くいきません。長女が極度の人見知りな事もあり、この頃はほとんど外に出ていませんでした。

さらに、上に書いた大気汚染と工事の騒音は相変わらずひどく、家屋や家電も頻繁に壊れるので、育児環境としては多少不便だったかと思います。

外遊びからようやく連れ帰り、2人の服を脱がせてさぁお風呂、という時に給湯器の故障でお湯が出なくなり、「もう嫌だ」と号泣したことがあります。たかが、お湯が出なかっただけです。でもこの瞬間、プツンと糸が切れた感覚があり、育児疲れが限界に来ている事が自分でわかりました。自分は何をしているんだろう。このままではいけない。

そういえば、子育てを始めてから3年、「自分の時間」というものがまるでなかったことにふと気付きました。自分ってどんな人間だったっけ。自分から子育てを取ったら何が残るんだろう…?

この時期の病みトリガーは「ワンオペ2人育児」「子の言語問題」「自分の時間がない」「友人たちの帰国」「理解者がいない」「海外特有のトラブル」あたりかなと思いますが…列挙するとこれは病むよね、という感想です。当事者だと日々まわすのに一杯で脱却方法を考える思考余地が残っていないんです。

さて、病みに病んだ前半を終え、ここから脱却するのが後半です。
これらへの解決の糸口もありますので、これから海外帯同を考えている方には読んでいただきたいと思います。

ではまた。

茉莉商店・寧々


サポートしちゃう?