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なぜか私は救われた

 愛を与えるとか、幸せにするとかではなくて、何だかわからないけど勝手に救われた気持ちになった瞬間ってありますか?そういう瞬間に出会ったことが皆さんにもあると思います。文字に起こすなら、その時なぜか相手がとった言動やそのものが、一時的に、緊張感に包まれた私を解放し、安心感で満たされていく時です。まるで、この瞬間を待ちに待っていたかのようなさっきまでの胸騒ぎから、本来の私が戻ってくる感覚は、母が、泣いていた私を抱きしめ、無言で頭を撫でてくれた時の義挙の様である気がします。私を取り巻く全ての空気が鋭利な爪を突きさすと、いつの間にか、私が境界線を一瞬で越え、救われてしまうのです。

 それは、もしかしたら好きな人に声を掛けられたときかもしれないし、懐かしい曲を聴いたときかもしれません。もしくは、面白かったことをふと思い出したときや、フェンス脇に咲く花を見たときかもしれない。私は薄暗い中、重厚な扉を両手で開けると、新鮮な空気と燦々と輝く太陽に出会うのです。様々な状況下で、私は、色々ものが複雑に絡み合ってできた世界の中で、無意識にそのたった一つを必要としていたことを知ります。それは、能動的に出来上がったものではなく、偶然の出来事にしか過ぎません。

 もしかしたら、あなたが救われた気持ちになったことがあることと同様に、あなたが気づかないうちに誰かを救っているかもしれません。何をしようとか、どうにかしてあげたいとかではなくて、そのままのあなたがそこにいるだけで、誰かにとってその瞬間、とても大切な存在であるのです。

 愛とか助け合いとか慈悲とかいう精神や方法などではなく、あなたが本当に必要としていたものに出会った瞬間ではないでしょうか。それがどうしてか、何なのか定かではないけれど、ふとその瞬間に触れたとき、また私が戻ってきて、次に向かって歩もうと思うのです。

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