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自由意志の"働かない"を許せるか?

どんなテンションのタイトルでしょう。
まあ私のnoteなんて3人ほど読んでるか読んでないかだから、なんでもいっか(自虐)


自由意志の「働かない」を許せるか

さっき、旦那と、「働く」「働かない」について話していた。

というのも、私のちょびっと遠い親族には、40代男性で、働いていない人がいる。小さい頃、めっちゃくっちゃ面倒みてもらった。彼は、ちょっと働いてみるも、何らかのちょっとした理由で辞めてしまい、続かないらしい。今でもたまに会うけど、心身的に悪いところはそんなになく、人間性や社会性に大いに欠陥がある、みたいな感じもない。ちゃんと家事をして毎日散歩をして、生活をしているし、いわゆる「引きこもり」みたいなイメージ像とはかけ離れている。

親族は「働かないなんてダメだよ」のスタンスが少しあったので、私も昔は何も思わず「そうだよね〜」って思っていた。でも、20歳で海外留学してみたあたりから、人間というものを、もっと自由な存在として捉えるようになった。それ以降「働かないなんてダメだよね」とは、一切思っていない。

働かなくても、本人と親が(家族が)納得していて、家にお金があって、犯罪などに手を染めていなければ、本人の自由。働かないと(社会との接点がないと)人間性や社会性を維持するのが難しいけど、それも含め、本人の選択(ツケは本人が払う)。もちろん、働くことで得られる成長や信頼を得られないのは、シンプルに勿体無いなと思うけど、その因果も含め、本人が選んだものなら、全然OK

だけど、旦那とその話をしたら、旦那は「あくまでニャンの意見はだけど、違うかな。」って言っていた。(旦那、一人称、ニャン)

旦那曰く、「もちろん、本人の自由であるのは間違い無いけど。まず、日本という社会インフラが整って、国家が機能している国にいる以上、働いて所得税を納めるところは、責任があると思うし、それを、心身上の理由とかではなく、自由意志で“働かない”としているのは、自分勝手だと思うし、尊敬できないかな。」って言っていた。

「あと、ルールを守ることで人間は発展してきたから、ルールを守らないと、動物的だなと感じる、」と。

なるほどな、と思った。

同時に、なんで旦那と私の意見は違うのかな?と思って、話をしていった。(この時間が超スキ)(高尚なのろけだよ!!)


「人間」の捉え方の違い

それで話してて思ったのは、旦那は、人間を、「社会システムの中での責任ある存在」と捉えていること。

私は、人間を、もっと、自由な存在として捉えていること。
私は、「社会システムって、あとから人間が作ったもので、元々そこにあるものじゃない」「だから、そこに順応できない人がいるのは当たり前だし、そのシステムにそぐわなくても、人間は人間としての権利がある。」と思っている。


私が「人間」をただの「人間」として捉えているのは何故か!?

で、(突然の接続詞下手)


私は、どうしてこういうふうに、人間を、社会の中で機能する一部としてではなく、ただそこにあるものとして、捉えるタイプなのかな〜〜と考えると

もちろん、海外に行って「社会システムが異なる国」を行き来したのはあるけど

それ以外には、文化人類学の影響が大きいのではないか、と思う。というほど、学んできたわけではないけど。私の根底に、これがある気がするのデス。


上橋菜穂子さんの本と共に育った

小5の時に読んでから、バカハマりして、ことあるごとに読んできた、上橋菜穂子さんの児童書。精霊の守り人シリーズ、獣の奏者、鹿の王。

どんなにギャルギャルしくジャニヲタやって原宿にたむろしていたときだって、クソババア立ち入り禁止の張り紙を部屋のドアに貼ってた反抗期だって、上橋菜穂子さんの小説だけは、疎遠になったことはなかったの。

そんな上橋菜穂子さんの本は、小説として面白いのはもちろんだけど、文化人類学的視点に溢れていて、そういう意味でも面白い。
上橋さんの小説で育つと、社会システムも、国家も、何もかも、人間が作ったものであり、それが絶対的ではない、という視点をもらえる。気がする。

そして、そんな本を一番のバイブルにして育った私は、26歳のアメリカ留学で、文化人類学科を選択した。周りの女の子は「Buisiness」「Marketing」「Economy」。あっても「Art」や「Sociology」だったので、アンスロ(文化人類学)を選んだ私は、ちょっと気味悪がられていたけれど!

勉強が、ほんと〜〜に、ほんと〜〜に、楽しかった。

そして、私は、英語ネイティブよりも、言葉のハンデがありながら、先生の言うことが、手にとるように、すっと理解できる感覚があって
自分の中に、相当の、『文化人類学的考え方』があると自覚する日々であった。ね〜〜


文化人類学、またやりたくなっちゃった

文化人類学をやってるとき、心から楽しかったけど、日本に帰ってから、疎遠になってしまった。ちょっとだけ、「文化人類学 就職 有利」とかでググって、その結果に愕然とすることはあったけど。

たまに「また学んでみたいな〜〜」と思うことあった。そして、今日。旦那と先ほどの話をして、それから頭の中でたくさんの考えや感覚がぐるぐるしてきた時に

ただの「ちょっとこれやってみたい、るんるん」ではない、もっと、胃のあたりからせりあがる、つきうごかされるような「やりたい」を実感した。お仕事で評価されてる時より、お仕事でやりたいことやってる時より、もっと体の中からくる「やりたい」だった。

やっぱり、私はビジネス畑の人ではなく、アカデミック畑の人な気がした。短期的な「成功」「未来予測」より、もっと、長期的な、ビジネスにはなり得ない「未来予測」の方が興味ある。


という話でした!!!!

オチはないですし、トイレに行きたいので、執筆終了!私っていっつも、noteの締めまで集中力がもたない。

終わり!!!!!!!!!

サポートいただけたら、コンビニでリプトンの紙パックを買ってきます!